夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

第一線へ

 アーティストで、一人でうまくできるようになった人は、必ず私の述べていることを自ら実行しています。別にどこかのトレーナーのメニュを使わずに、第一線にいるのです。

 ですから、トレーナーは相手を自分の才能の範囲で判断して、自分の下においてしまうことに用心しなくてはいけません。

未知の若い才能に、自分の解釈を強いてはいけないでしょう。

 声楽家には、「他の指導を受けてきた人はくせがついているからよくない。真っ白の人がいい」とよく言います。その人が世界一流の人でもなければ、あるいは確実に全ての人を一流に育てていなければ、同じ穴のムジナです。その人が教えた人も他ではそのように言われているのです。

 

 人間関係を最大に重視するトレーナーは、その人のために、いろいろやってあげようと思うものです。しかも自分一人でなんとかしようとして、大体は、もっともよくない結果を招くのです。

 一流の条件について、ヴォイトレとトレーナー自身がよく陥る点について、注意を促してきました。

基準と材料☆

 私は理論、メニュやQ&Aをたくさん公開しています。「考えるな」と言っても人は考えてしまうから、それならとことん考え尽して考えるのが切れるのを待てばよいのです。私が考えておくことで省けるでしょう。

 トレーナーは、説明して、自信をつけたり、信用させたりしなくてはいけないので、過度にそのようになりやすいものです。その人の才能を見つけることが、おろそかにされていませんか。

 

 私はトレーナーをも見続けてきました。アーティストだけをみるのでなく、トレーナーの指導とのペア、組み合わせということに敏感です。☆

 

トレーナーは何にでも応じて、話だけのカウンセラーになってはいけません。広げた分、浅くなります。声を育てること以外については、応じるのには慎重であるべきです。勉強は広くすることですが、応じるのは狭く深くとなります。おのずと他の専門家とのネットワークが必要になります。

 

 「こうすればこうなる」という図式を疑うことです。方法やメニュよりも基準と材料ということばを私が使うのは、そういうニュアンスをこめているからです。

 ことばはキーワードとなり、レッスンに有効です。しかし、イメージがうまく共有できないなら、誤解の元、害にさえなります。こういう文章も同じです。だからこそ、毒をもって毒を制する、つまりトレーニングとして、有効なのです。

 

メニュの使い方

目的によってメニュも判断も違います。仮にメニュは同じでも、判断を変えることになります。

 今のヴォイトレは、部分化しているため、○○のための○○のメニュとなっています。「○○のメニュを行うとこうなる」というのが、形だけになっていることが少なくないのです。「軟口蓋をあげる」ようなことは、「リップロール」「タンギング」「ハミング」などでの使用も同じことがいえます。

 これは、私だけでもなく他のトレーナーも、指摘しています。形だけなのか身についているのかは現状を見なくてはわかりません。メニュとして使っていけないものはないのです。

 整体で「ツボを押す」となっていても、押し方によって、効くことも効かないことも、悪くなることもあります。それは相手や状態にもよるのです。同じようにいかに柔軟に応用できるのかが問われているのです。

感覚とギャップを埋めるための鍛え方

 声の学び方について、輪郭が見えてきましたか。一流の人からどう学ぶかは、「読むだけで…」(音楽之友社)に、詳しく述べましたが、前提として必要なのは、一流の耳作りと感覚作りです。声楽の人も邦楽の人も、参考にしていただければよいと思います。

歌謡界では、藤山一郎淡谷のり子さんなど、昭和時代は歌の名人が輩出していました。かつては一般の人もクラッシック歌手には一目おいていました。TVにもよく出ていました。

一般的に知られた人では、立川清澄、五十嵐喜芳中丸三千絵鮫島有美子、森久美子、中島啓江さんなど。山路芳久さんは早逝しました。

 平成に入り、レベル的には底上げしたのに、有名な人が出ないのは、残念なことです。

 

 そういうプロセスで、レッスンやトレーニングは、誰かに合わせて行うものではありませんが、基準の喪失が惜しまれます。そこを変えていこうではありませんか。

 

 感覚や聴覚、楽器としての声、発声器官の調整と改善、補正、強化です。それは筋肉や神経レベルでは解剖学的な話になるのですが、軟口蓋や喉頭の位置のような話になりかねません。共鳴、発声、呼吸、筋肉などを自覚して、感覚から体を変えていくようにすることです。

 総括的なところでなく、部分的に捉えていくと変わります。関わりにもいろんなパターンがあります。より高く、より大きく、より音色、よりバランスよく、よりコントロールできるようにしていくのです。

自分のメニュづくり

 対処法は、その時その時にある力の方向を変えることです。トレーナーのメニュは、大体そういう大きな叩き台です。健康法と同じで、あなたにすぐ合うのも、しばらく合わないのもあります。今、合わなくても、合っていくものが重要です。口、舌、喉と一人ひとり違うのです。ハイレベルにみると、どれとして同じものはありません。

 自分のメニュが作れたら一人前です。ヴォイトレでは、これは難しいことです。そうなると、合わせやすい難のないメニュが選ばれるからです。

 

 本研究所のサイトにもたくさんのメニュがあります。全てをやる必要はありません。どう選びどう組み立てるかが、あなたの上達を決めていくのです。

  私のところは声楽でも8つの音楽大学から十数名のトレーナーを招いています。これは、日本の発声の縮図です。音大に行くよりも発声の研究ができると、クラシックの人もいらっしゃいます。習うとか教わるとかでなく、ここは、自分の研究をする研究所です。

 

滑舌

 声優、ナレーターのように「滑舌をよくしたい」なら、私の本のCDで、優れた声優をまねると、人並みになります。それを続けながら、基本(体―呼吸―発声―共鳴)に戻していくことです。そこは人によって異なりますし、その人が何をどこまで求めるかによります。

 新人アナウンサーレベルから実力派といわれたいのなら、滑舌などは一つの条件にしかなりません。そのことを早く知ることです。かまないでスラスラ、日本ではそれで出ていける人もいますが、そのうちやれなくなります。声、表現力、演出力をつけていくなら、芸人、役者や歌手のようにハイレベルでナレーションや、声優の仕事もこなせている人をめざしてください。本質を捉えて本当の地力をつけていくことが大切なのです。

質と個人のレッスン

 研究所は、量の時代を経て、質の時代に入りました。いくら量だけを与えても、自分で365日やっているアーティストには敵いません。そこでトレーナーに質のチェックをさせています。

 レッスンでは、課題とのギャップの現状を把握させます。そして、その改善をアドバイスします。大切なのは、把握と次への問題提起です。

 毎日、そのように自分で行っていくことです。ハイレベルな課題なら、月に1回かのレッスンでも賄えます。しかし、普通は月8~12回くらいのレッスンは必要に思います。

 自分にあったものを否定するのではありません。そこは自分でやればよいのです。より大きく変わるために、自分以外の、一流アーティストの感覚(複数の方が無難)にどっぷりと浸って欲しいのです。潜在的な可能性を開花させるためです。

 一回が何分とか月何回などにこだわる人が多いのですが、問われるのは質です。時間や回数でなく、続けていくなかで相乗効果をあげていくことが大切です。語学やスポーツと同じ、いやそれ以上に、声には連続の上での飛躍が大切です。

 自分の状況が自分で変えられないうちは、できるだけ重ねてレッスンするといいのです。変えることは、体力、使い方、状態、そして何よりも条件、です。変えられないうちは、トレーナーとマンツーマンで向いあうとよいです。

ワークショップ

 ワークショップのもっとも大きな問題は、そこで行われていることが、レッスンやトレーニングへの前提、導入になっているようでなっていないことです。次のアプローチがないという点です。気づきとしてあっても、同じライン上に並んでいるだけです。実際は、その後に交わらないし深まらないことがあげられます。チェックや現状把握として終わっているのが大半です。

 多くのワークショップを受けてきた人を、たくさん見てきました。それよりは一つのワークショップを長年続けて受けている方がよいくらいです。理論や方法などというのは、それが消えてから身につくということを知っておいてください。

 ゴスペルやコーラスを何年もやっているのに、ソロでは音をはずすような人は少なくありません。日本では、いくかのクワイヤともやってきましたが、外国人やリーダーはよくとも、あとの人はだめ、ほぼ育っていないのです。

チェックと自覚

 目的が違うといえば、それまでですが、チェック機能、自覚のなさは、問題です。皆で声を合わせて応用しているだけでは、基本を深めることに役立っていないのです。

 歌っているだけの歌い手の歌も、あるところから変わりません。話のスタイルも、中学生くらいから、手振り身振りとともに多くの人は変わらないでしょう。話し方やトーンのことです。セールスマンや水商売など、技量がすぐに結果で問われるような仕事についた人は変わります。それだけ厳しいということでしょう。

 レッスンも、うまく歌えること以上の結果(応用)が現れるところにおいて、基本を学ばなくてはもったいないです。私は、早い時期から一流アーティストの一曲のトレーニングをメインにしてきました。一曲が無理でも、一フレーズなら使えます。一フレーズが同じレベルで歌えないのに、一曲歌えるわけがないのです。

 ですから、基本は全て一フレーズです。あとは任せています。それ以上のことは、あなた次第です。ただし、せりふや歌のチェックは細かく厳しくやっています。

 へたな作品でなく、一流のアーティストの共通要素から、学んでください。

 

基本と応用

 ヴォイトレも「5分で…」というのは、それで一つのアプローチにはなります。入口はどこでもよいでしょう。問題は、入り口なのか、最初の一歩になっているのかということです。

 私のところでも、「基本ができないと、次にいけない」とは、言いません。基本も程度問題だからです。基本ができなければ、応用の幅や深さが狭まります。次に行けないとしたら、基本が基本でないのです。

 一流のアーティストは、そんな表向きの形を直感的に無視して、固めるべきところを固めています。

 フィジカルトレーナーでも、一般の人が相手なら、あるいはテレビ用になら、そういうことをマジックのようにやります。

一流のトレーナーなら、対応するアプローチをもっているものです。歌や声、感性は一人ひとり違います。どこからアプローチして、どのくらいしたら、次に移るのかも違います。

基本と応用との問題は、一般化して説明しにくいものです。私は応用できてこそ基本、だからこそ応用を高い目的レベルで設定して、基本を高められるように、セットすることを勧めているのです。

 

程度という問題

 昔の芸人や職人は事実より、真実を知っていました。それは見えません。暗黙知です。教えて直るようなことではありません。教えたくらいで直るなら直っているのです。だから教えても仕方ない、だまってくり返せということでした。

 トレーナーが、目先の効果でしか考えていないと思われることが多くなりました。ちょっとしたアドバイスで、ちょっとした効果が出て喜んでいる人を見ているからでしょう。

 最初にわかりやすい効果を出さないと、信じないし、そうした効果を毎日出し続けないと来なくなる(他のところに行ってしまう)という、今の人の学びの浅さも要因です。そして、こうして学んだ人がトレーナーになって教えているから、さらにそうなります。フィジカルや整体などの分野では、顕著です。

 体については、声よりも研究され、実績も理論も練られて、わかりやすいです。そこで私も体からのアプローチを声の基礎の基礎にしています。しかし、だからこそ陥りやすいワナがあるのです。

 「5分で○○ができるようになる」に対して、「だから、何になるのか」というのが、私の見解です。痛みがなくなるとか、楽になる、楽にできるようになる、という健康や医療面のことなら、口を挟みません。外見の魅力やファッションアピールのことなども論外です。

 肉体を変える、声を変える。その人の価値観ですが、声を磨く、そのために体も鍛えられる必要があるわけです。

ギャップと時間

 トレーニングですから、できている人はできているという状況の事実を知ることです。

それをイメージして、

できていない人はできていないというギャップを把握する―A、

それをできるようにしようと意識する―B、

そのギャップをうめるために行動する―C、

をセッティングします。

 それが行われていたら、トレーナーは、黙って時間を待つだけでよいのです。

 

 多くの場合、このプロセスが雑なのです。細かく把握し、再セットします。

できないということが、1.姿勢、2.呼吸、3.発声、に起因していたら、それぞれに、また再セットするのです。多くの原因は、その一つでなく、全てにギャップがあり、足りないことです。

 そのアプローチを、どこからチェックするかは、トレーナーや、その人によって違ってよいと思います。しかし、それだけで全てよくなると考えられると困るのです。