夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

声楽家とクラシック

 声楽家の先生などには「日本人の発声は皆、間違っている」と言う人がいます。「日頃からイタリア人のように発声しろ」と教える先生もいます。私はそういう人の理解者でもありますが、教え方については、一般化できないから相手にされないと思うのです。もちろん、クラシックという分野が確立しているから教えられているのですが。

 私は、歌手はもちろん、声優、俳優からビジネスマンにも「声の問題を解決したければオペラを学べ」と言っています。オペラ歌手に学べとは言いません。オペラ歌手のような声になりたくなくても、クラシックといわれるものには、人類の財産として共有するに値するよいものが詰まっていると思います。

 多くの声楽家は、「他の先生は発声も教え方も間違っている」と言わないまでも思っているのです。それには違和感を感じざるをえません。

 「大人のラジオ体操」にも、プラスαとしてバレエの基礎やヨーガが、載っていました。人類皆兄弟です。

 

劣化の逆

 声を使わなくなったための劣化は、声をよく使う職業から引退した人をみると、よくわかります。歌手のなどは、歌わなくなると声が高いところへ届かなくなり、声量も衰えます。

 トレーニングは、使わないために劣化することの逆をやると思えば良いのです。使っていくことで、その扱いをすぐれさせていくのです。

使い方を間違えると痛めるのは、他の分野の身体トレーニングと同じです。

 目的とその人にあった量や時間がありますから、無理せずにゆっくりとコツコツ長く続けていくのが理想です。早く変えたいからトレーニングすると、そこに必ず矛盾が出てくるのです。

 「使い方を間違える」というと、声の間違い、間違った声や不正解の声があるかのように思われる人もいるでしょう。これは目的にそぐわない方向にすることと考えましょう。

声の使い方での変化

 ものまね芸人を見ていると、意図的にいろんな音色をつくる能力を、人は持っていることがわかります。奥様には、「よそ行き声」と子供を叱る声が、1オクターブも違う人もいます。電話での応答で、相手によって別人になるのは、女性に限ったことではありません。

 これらは口内や声道での変化によって可能なので、声の使い方となります。

魚市場のせりの声やアメ横の売り声は、職によって嗄れ声になることが多いのですが、なかには立派な声の人もいます。

同じ人でも社長になるか平社員か、営業か技術職かでも20、30年の歳月は人の声を変えます。データとしてはとりがたいでしょう。心身が弱ると声が別人のようになることもよくあります。ホルモンでも違ってきます。

 

プロと声

 確かに発声法でなく、声そのものが変わっている人で、声でプロになっていく人もたくさんいるのです。

 プロという声の定義はとてもややこしいのですが、私は、いくつか機能面をチェックとしてあげています。その多くは総合化したもの、声の使い方であって声そのものではありません。

 本質は、声質、音色についての変化についてみることです。

 役者、声楽家には、声が大きく変わる人がいます。一般的に、他の分野では10代後半から20代、成長が止まるまではあまり、落ち着きません。その後、老けたり、かすれたりすることはあります。しかし、男性の第二次性徴期の声変わりほどの大きな変化は起きません。

顔が人を表すのと同じく、声も人を表します。職業や地位の変化により、声は驚くほど変わることがあります。

 同じ人でさえ、自信のあるときと、落ち込んだときとで変わるものです。

本質の話~総合化と個別化

 声のまわりの問題を総合してから、その人自身の声そのものの問題に焦点をあてます。そこで、声はどのように鍛えられていくかということをみてきました。

 ヴォイストレーナーも成果を急がされ、プロデューサーや演出家的のような役割を求められています。そのなかで、これは忘れられ、取り上げられずにきた大問題です。彼らは声質や才能ある、すでに選ばれた人を扱えばよいということです。

そうしたチェックとの違いは、選ばれるまでブラッシュアップして、よりよくセッティングし、調整するのです。

 

 私も最初はプロにだけレッスンをしていました。

トレーナーは、トレーニングで、そうでない人をプロレベルにしなくては、その名には値しないと思ったのです。そこからのここの現実の歩みについては述べました。

 アーティストを育てるのは10戦10勝とはいきません。なのにヴォイトレは、確実なものとして、ローリスクローリターンの声の調整一辺倒になってきたのです。

バランスをとるのではなく崩す

 歌唱、発声の2オクターブをみると、ほとんどは1オクターブ半以上高くなると、声帯の使い方が変わります(声域が変わる。裏声、ファルセット)。別のやり方で、振動数(つまり周波数)を増やす使い方にします。

「基礎講座」では、基礎の1オクターブまでが中心なのです。話声区に限れば、強く言うと高くなるという、単に、声門下圧と声帯(声帯の長さと緊張度)で捉えてよいのです。

 多くの人は喉声なので、私は、胸声でのフレーズで動かせるようにしています。クレッシェンドと同じ感覚で音程(この場合、高めの音)をとります(「メロディ処理」=私の造語)。

 ベルディングのようなのは、声楽では中高音以上になると、その発声を否定されています。単なる命名では実体を伴わないので論じません。地声(1オクターブ内)では、一流の声楽家は、声の芯で同質の深い共鳴をキープしています

日本人が歌唱をせりふの延長上でなく、響きの方からもってきたことについては、非日常的で、そこに二重性の問題をはらむというのが、私の立場です。日本人の歌唱が、なかなかしぜんなロックや、ミュージカルにならないことで証されています。

 すべてのバランスをとることが、うまくこなすこととして目的になりがちですが、トレーニングは、そのベースを固めつつ、ときに、その逆を試みるものということです。バランスを意図的に崩してそこで、異なる可能性を追求するのです。特別なメニュを使うのも、そのためです。

そうして自分自身の声の可能性を知っていくのです。基礎だけでなく応用である表現で、これまでのバランスを壊しても作品がもつように、それがもっとよくなるようにしたいものです。

高さを強さにする

 拙書の「基本講座」では、高低差(声域)3度ドレミレドと、声量ド<ド>ド強弱差(声量)を同一の見地で述べています。ドからミへ音(ピッチ)が高くなるのは、体や息の負担でない。むしろ「高い方は楽になる」というのが反論としてありました(新刊版では説明を加えています)。

ここでは、振動と周波数ではなく、ドがもっとも出しやすいなら、ミは(あるいは下に3度低いラでも同じ)その台の支えをつくらないと同じには出せない―出せるようにする―そのために息や体が備わるということです。「息や体の力を強く使え」ということではないのです(違う高音を、音色を同じにして出すというのは、文章では伝わらないので、知りたい人はいらしてください)。

トレーニングでの補強

 今度は、長さ(小節)を省きます。あなたの器を100として、10×10つまり、声域1オクターブを10とし、声量に10を使うとします。

→声域を半分にすると5、その分、声量へ20をかけられます。

→声域を3音だけとすると、声域3×声量33.3…

→声域を1音(もっとも出しやすい1音高)声域1×100

 

 1オクターブで歌うと10ホーンでしか出せない人を、もっとも出る1音だけにすると100ホーン出る。極端な例として例えていますので、こんなことはありませんが、イメージしてみてください。

 たとえば「アー」と目一杯出してみればわかりますね。このままの声量で歌には使えません。歌には声域などがあるからです。カラオケの人は、声量を小さくして声域をとりますね。

この2つの他にも、長さ、メリハリ、音、リズムなどが同じように変数として使えます。目的は、器そのもの、トータルを増やしていくことです。

 そこで、トレーニングでは、体、息、声、それぞれの器を大きくすることを目指します。さらに大切なのは、同時にそれらの結びつきを強めていくことです。そこでは深い息、深い声がポイントとなります。

 

バランスを変える

 ある1フレーズ(8小節くらい)をサンプルとします。あなたの歌うための声、器の容量が2オクターブで16小節とします。

 

 器(トータル)を拡げるイメージ

トータル=2オクターブ(使う声域)×16小節[伸ばす長さ]×声量

2オクターブなら8小節×声量1Q(単位は仮に1Qとする)

 

1オクターブ(8度)~8小節×2Q

半オクターブ(5度)~8小節×4Q

3音(3度)~8小節×8Q

1音~8小節×24Q

ここまでは、声域を1/2、1/2、1/2、1/2、としてきたという意味です(正確ではありません)。

1音~4小節×48Q

1音~2小節×96Q

1音~1小節~192Q

その後は、長さを1/2、1/2、1/2、1/2、としています。

2オクターブで8小節歌っていたのを、1音で1小節にすると192倍の声量(が出るわけではありませんが)かなりの大きさの声は出るわけです。

 

本質的なメニュとは

 誰にでも共通して必要な「基本メニュ」が難しいので、簡単にしたものをたくさんつくってきました。トレーナーにも、「これがいい」とか、「これはよくない」とかいろいろと言われているようです。しかし、メニュの形式でなく、目的を明確にすることが大切です。メニュそのものは、使い方で変えれば、どうにでもなるのです。一つか二つを徹底して使い込めたら、充分によいのです。

 たとえば、「母音はどの音、子音はどの音を使えばよいのか」というと、私たちのブログの「トレーナー共通Q&A」でわかると思いますが、それぞれの母音、子音にいろんな特徴があり、それによって可能性や処方があるのがわかると思います。どれか1つが絶対ということはないのです。目的やその人のレベル、タイプによって異なります。メニュを変えなくとも、使い方を変えれば対応できるのです。

 どれがよいとか悪いでなく、その人の今の発音や発声、目的にもよるということです。

 この研究所でも、トレーナーがそれぞれに使うスケール(音階)、母音、子音は、違うのです。おもしろいことです。その違いを超えて、学べたものが本質であることがわかります。すべての発音やスケールを学ぶ必要はありません。いくつかを使って全てに通じるものを学ぶのです。

 

メニュの使い方(外郎売り)

 ヴォイトレでは、声中心にしたいものです。それは当たり前のことなのに、日本ではそうなっていません。

 ヴォイトレで、本質的なことをやりたいなら、本質的なメニュとそうでないメニュを区別しておくことです。

とはいえ、こういう説明もあまり意味が伝わらないのは、同じメニュでも、その人やトレーナーの使い方で学べることにもなるからです。どんなメニュでも、使い方によっては本質的になるのです。

 たとえば、「外郎売り」は、滑舌のための早口ことばとして使われているメニュです。メリハリをつけて使うと、口上として表現力を磨くことができる魅力的な課題となります(初心者には、読むだけで難しいので、どうしても滑舌のトレーニングメニュになりがちです)。

 表情筋トレーニングは、高音の発声のためのメニュに使われています。本当は、高音を出していくと表情も動いてくるのです(変えずに最高音を出せるのは、パバロッティのレベルで一流)。そこで、兼任できる範囲までが望ましいともいえます。

 きちんとヴォイトレをやっているなら、姿勢のためのメニュなどは不要なのと似ています。退院したてのような人はヴォイトレの前に何か月か、筋トレ、柔軟、呼吸に追加して、発声せずに立ち方のトレーニングをした方がよいと思います。

 一人ひとり異なるのです。一人では捉えられないからトレーナーが必要です。トレーナーには幅広い視野と深い考察力が望まれます。

アナウンサーとキャスター☆

 日本はメディアに主義主張の偏向のあってはならない、というおかしな国です。正確に内容を伝えるだけが報道である、ということです。そういう本来はありえない未熟なジャーナリズムには、ルックス本位の人の未熟な声が魅力的なのでしょう。

 

 本当のことをいえば、発音トレーニングもいらないのです。口をはっきりと切り変えすぎるのはふしぜんです。アナウンサーが30代になり、朗読、詩吟などをやりたいなどということになると、先生に「素人より悪い」などと言われて、私のところによくきます。

何人ものアナウンサーをみてきましたが、役者のせりふやお笑いも噛み合いません。アナウンサーという職業病です。日常会話さえ、報道モードになる人も少なくありません

欧米では、一般の会話レベルは報道でなく、日本でいうところの演劇モードレベルです。アナウンサーは個性あるキャスターなのです。

 表現の本質をわかって、声を伝えるようにした人が、キャスターとなり40代、50代と活躍しています。たとえば、国谷裕子さん、森田美由紀さんなど。

 大竹まことさんのラジオ番組に出たとき、阿川佐和子さんに「役者の声は、もてますが、○○アナウンサーの声はどうですか」とふられ、「だめです。もてません」と答えたところ、阿川さんは「アナウンサーは。(句点)までしか読みませんが、役者はそこで切ったあとに、伝わらなくてはなりませんから…」というようなことを言っていました。「さすが」です。