ヴォイストレーナーの選び方[アーカイブ版]

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に  バックナンバーは「夢実現・目的達成のための考え方と心身のトレーニング」をご覧ください http://bvt.txt-nifty.com/trainersen/

25.ブレスヴォイストレーニング研究所とトレーナー

まねるな

歌や声は、一流であるゆえに一流のオリジナリティ、それは、その人なら正解なのを、他の人がやると間違いになるというものです。 野球で名選手の王貞治と張本、野茂、イチローなどのフォームをそのまままねてはいけないのと同じです。 一流になるなら、一流…

自分のメニュづくり

対処法は、その時その時にある力の方向を変えることです。トレーナーのメニュは、大体そういう大きな叩き台です。健康法と同じで、あなたにすぐ合うのも、しばらく合わないのもあります。今、合わなくても、合っていくものが重要です。口、舌、喉と一人ひと…

サービス不本意

私が毎日のように疑問や提言、クレームを皆さんに求め、それに目を通すのは、その解決がレッスンになると思っているからではありません。生徒にトレーナーやレッスンを評価させているのも、それでトレーナーの評価を決めたり、人気を計っているのではありま…

総合化とシンプル化

ヴォイトレにおいては、声の表現のあいまいさから、まわりの条件から、その本質が隠されてしまうことが多いのです。私のヴォイトレは、シンプルです。必要なのは、その人とその声だけです。それなりの人はすぐわかってくださいます。その信用やレベルという…

声と統合

最初は、基礎2年間を必修として受け付けていました。やがて、グループで基礎をマスターさせるには、個人差が大きすぎることと、声だけの育成の場で、あまりに音楽性のなさを目にして、早く作品から入れていく必要を感じました。そのため、発表やライブの場を…

方法の差異について

私がいえるのは、ヴォイトレに特別な方法などというのはないということです。言語を発声として、幼いときからしぜんと習得していっているのが人類です。そこで楽器のように人工的につくられたものへのマニュアルなどあるわけがない。大切なのは、こうした原…

自分だけで診ないこと

トレーナーは、医者のように、のどの手術はできなくてもよいが、声に対し適確な判断力をもって処方できることが大切です。できたら将来の可能性に対してということです。それには 1.声の育つプロセスを理解し、自ら実践できること 2.個人差に対応できるこ…

トレーナーは才能を求められる

一流のプレイヤーは、大体一流の教師となります。しかし、一流の歌手が一流のトレーナーとなることはあまりありません。歌手が歌手を育てないのは、そう簡単にできない事情があるからです。ダンスやゴルフのレッスンプロなら、プロになれなかった人が教えた…

歌でなく声をみるということ

私が多くのポピュラー歌手、役者などと巡りあいながら、今のように、声楽家のトレーナー中心の体制にしたのは、共同の場をもつ以上、個人の価値観や見解においての違いがあっても、オリジナルな発声づくりにおいては、認めあえる必要があったからです。歌と…

声楽の先生と前提

最初は一人のトレーナーで基礎を固め、それが身についたらようやく、他のトレーナーにみてもらうというのは、声楽によくある考え方です。昔は、自主トレも禁じて、トレーナーの前でのみ、発声させて、学ばせるというスタイルもありました。 彼らは、目的のた…

ポピュラーと理想イメージ

ポピュラー歌手は10人ほど声を考えるだけで、その声や使い方の多彩さはわかるでしょう。ポピュラーや役者の声は、声楽で定められた条件よりもずっと自由なのです。日常にも近い声です。 多くの場合、声楽やヴォイストレーニングのトレーナーの理想とする歌手…

アートを学ぶための教育

どんな人からも学べます。まして、自分よりもやっている人なら、学べることはたくさんあります。研究所からも他の人の十倍、百倍盗っていった人もいれば、ほとんど盗れなかった人もいるかもしれません。 多くのものを盗れる可能性のあるトレーナーやマニュア…

トレーニングで本当にやるべきこと

研究所のトレーナーのことばです。 1.とことん地味なことをやること。 2.今すぐ必要なことと正反対のことをやること。 3.すぐに効果の現れないことをやること。 本当にやるべきことは、付け焼き刃でできないこと、時間がたっぷりかかることをやるのです。…

プロと才能

プロとは、自分の才能の発揮するために、自分にない才能のある人と場を得られる人です。人間、一人では何事も大したことはできません。本当に好きなことを好きなようにやるために、プロになる。そのためには仕事として、こなしているプロのレベルを超えなく…

習得することと創ること

世の中、いろんなレッスンがあっても、習得するのに楽なところを選びがちです。 先生が手とり足とり教えてくれる。誰もが誰もと同じところまで一緒に確実にいく。それが教わることだと、日本人は思っています。 私は「レッスンで習得して、自分で創る」とい…

世に問う

音楽や歌は、実力のないタレントでも、人を集めたり稼いだりするツールとして、安易に使われてきました。健康のためや友だちづくりのため、コミュニケーションの媒体として、使うのが楽、加工しやすくごまかしやすいからです。音楽に親しむ人がこうした効用…

忍耐をショートカットしない

自分は苦労したから楽させたい。だから、やり方、ノウハウやマニュアルを与えて、ショートカットさせようとします。その苦労を醍醐味として伝えません。真剣ゆえに楽しめてくるものを隠します。一人で一途に、自分の声や歌の研究に没頭する、その忍耐、努力…

レッスンは、とりくみのためでない

それで何に気づくか、どういうイメージが思い浮かぶか、そして、自分が他のいろんなこととどう結びつけられるか、そのきっかけを与えるのが、レッスンです。 レッスンのレベルは、メニュやノウハウでなく、受け手の能力、感受性によります。トレーナーのこと…

群れることで自己肯定しないように

素質ある人でさえ、才能が発揮されぬまま、本人はやれるつもり、やれているつもり、やっているつもりになってしまうのです。本質がみえなくなっていくなら、何のための勉強でしょうか。 これは、逆手にとれば、学校やサークル運営の秘訣なのでしょう。どこで…

場づくり

私は、自分の他のあらゆる力を総動員して、得たものもすべて声に(=研究所に)つぎ込んできました。結果、お金に替えられないほど、自分の勉強にも経験にもなりました。会報には、生徒の原稿まで打ち込んで載せて、自分といらしている人の勉強に供してきま…

最大に活かす

なぜ多くの人は、自分の器でしかみられないことを知って、視野を拡げようとしないのでしょう。 レッスン代は、消費でありません。投資です。自分への付加価値づけのためです。 レッスンは、トレーナーの時給いくらだからという価値ではないのです。相手の時…

スクールと養成所、研究所との違い

私の研究所でのレッスンとトレーニングは、舞台で一流でやるために、声とそれに関わる全てのことを鍛え磨いていくことを目的としています。アーティストとか人として評価されることは、別のことです。 それにはよい作品を残していくことです。そこに永遠の命…

期待と自立

人に期待するということは、第一に自分にその見返りが欲しいということです。自分にも同じだけ期待して欲しいということになります。それには自分の力をつけなくてはいけません。そしたらまわりが世に出してくれます。 日本では、力がないままで、媚びてくる…

批判より実践

誰でも入れるところにいることは、何ら、先を約束しません。しかし、どこかにいるのは、とてもよいことです。あとは、そのことへの自覚の問題です。それがわからなくなる場は、よくありません。ただいるだけで安心するところでは、大して得られません。学ぶ…

日本の音声教育の現状と対策

私がアドバイスできることは、「他人にノウハウやメニュを教わろうと思わない方がよい」ということです。もっと大切なことを学んでください。 第一に、多くの音を聞き分ける耳を持つこと、そういう人は少ないです。歌での声とオリジナリティの作品への評価と…

組織としてのメリット

研究所では、かなりの部分について、他の人に任せるようにしてきました。私がすべてをやってしまったのなら、発展がありません。いろんな人がくるので、相手によっては私よりもうまく対処できる専門家やトレーナーをみつけたり育てることも必要です。また、…

情報と経験

ヴォイストレーナーも多くなり、ここにもいろんなトレーナーもきます。 声は、相手にもいろんな問題があって、一人の専門家だけでは対処できないものです。私も医者や声紋分析、語学音声学の学者も含めて、情報交換しています。それでさえ、どうしても分から…

トレーナーとの接点

トレーナーとも、接点をどうつけるかが問題です。どんなトレーナーでも、接点のつけ方さえうまく変えていけば、学べることはいろいろとあります。例えば、最初は合わないようでも続けていることで、効果を出している人もいます。 相性の問題や好き嫌いの問題…

効果の客観的判断

私が科学(音響)や医学の機器での測定に真剣になっていったのは、声や歌に関するトレーニング効果ほど、あいまいなものはないからです。それで他の人に自分の理論、正しさを示したいというなら、それほど程度の低いことはありません。 芸術において、科学や…

検証の難しさ

効果、成果とは、目的に対してあるのですから、効果があがったというのは、目的に近づけたり、目的がかなうことによって、実証されるのです。科学的にという人ほど、非科学的であるのは、よくあることです。