“天然声”は、マイクなしではあまり通らないことです。ポップスはマイクを前提にしていますので、それでよいのですが、発声において、最初からマイクに頼るのは本末転倒でしょう。
少なくともマイクを使わない声楽のレッスンでは、マイクを考慮しないところでの完成度を目指しています。
10代の玉のような声が、20代、30代で失われると、取り戻せないパターンになります。特に女性によくみられます。この声は、裏声に似た性質のものといってよいかもしれません。
もっとも大きな混乱の原因は、日本の歌手への歌の期待が、音声表現の完成度よりも、それ以外のことに重きをおいているからです。純粋性、純真性、ある意味では幼児性でしょうか。プロたる条件が、確かな発声の再現性(厳密性)に、根ざしていないからです。
現実に対応するのも、トレーナーの仕事です。トレーナーや声楽家では、自分の素の声や発声がよいために、表現の判断が声そのものでしかできない人が少なくありません。トレーナーだから、声だけ育てればよいという人もいます。しかし、表現の判断を知らないと、結局は育ちません。天性の声のよい人を選ぶしかないからです。
若いトレーナーの大半は、それにあたります。特に発声が伴った、素の声がよいトレーナーに限って、表現を学ばずに他人を教えているから、大きな勘違いが起こります。
天然声の人の場合、それがものになるかどうかは、高次の判断力が必要です。何ヶ月、あるいは何年かみないと、適確に判断できないこともあります。可能性は、レッスンによって大きく変わることもあるし、本人の希望やスタンスも無視できません。