昭和の半ば頃までは、著作権が整備されていなかったのです。また、同じ曲を違うレコード会社専属の歌手同士、同じ時期に競作してヒットを競うこともありました。それとはすでに異なる状況でしたが、私が覚えている最後の競作曲は「氷雨」での日野美歌、佳山明生さんの歌唱です。
フォークなどの台頭期では、かぐや姫など、ほぼ一曲の繰り返しだけのステージをやっていたグループもありました。「好きだった人」などがその代表曲でした。フォークのヒットは、歌詞の力が大きく、即興の詞づけにも長けていて、必ずしも曲の力とは言い難いです。そういえば、昔は、歌手も1ステージのなかで1曲のヒット曲を何回も歌ったりしていたものでした。