師のようにやろうとして、すぐにやれるところはどういうことでしょう。条件にめぐまれていてやれたのか、条件がないのに表面だけ合わせられたのかで大きく違います。表現力が伴っていれば師と同じ力があるのに、それがないというなら大きく何かが欠けているのです。まねたつもりで、本質の問題を素通りしてしまった、先にいってしまったのです。つまり、基本がなおざりにされたということです。
それをほめる客はしかたないとして、トレーナーがほめるからやっかいです。早くそれなりにできたということにしてしまうと、レッスンの対価には見合ったと相手も喜んで、生涯、そこの限界から抜けられないようになったということになりかねません。しかしそこに気づかないレベルでレッスンが成り立っているのです。これはトレーナーを変えるか、トレーナーが変わるかしかありません。