歌をまねるのも、その人の体や感覚に着いていない形をトレーナーから表向きに移行し、植えつけただけだからです。
これらは皆、同じように上手になろうという学校教育と似た話です。ここで取り上げるまでもないことです。絶対音感に価値があると思って、そのための勉強することと似ています。先生にそっくりをめざす小・中学校の合唱団をみるとよくわかるでしょう。
日本人のそういう確からしいものへの好奇心は強いのです。検定や資格マニアも多いです。何の意味もないが、基準としてわかりやすいもの、その基準だけを単独に取り出せるものを他人と同じようにやりたいということです。ですから、スタンスの問題です。そういうことが、レッスンにおいても、意味を問わずに目標として絶対視されてしまうのです。
私はスタートは何でもよいと思います。そこから自分のものにしていく、身につける努力をすればよいのです。しかし、それがわからないから、こういう人たちは、さらに次の仮目標(この場合なら、もう1、2音高く音を出そう)に興味をもつのです。トレーナーもまわりもそんなことを評価し、ほめてくれるからです。外国語を、覚えた単語数で誇る日本人です。
もっとも大きな問題は、主体的になるレッスンで、そういう目先の効果を基準にすることで、他人(トレーナー)判断=価値観依存になってしまうことです。