私はプロ歌手でないトレーナーが、プロ歌手のように歌えなくても、プロの役者でないトレーナーが、彼らのようにせりふを語れなくてもよいと思っています。声のトレーナーなら、プロの声を出せること(出せたこと)が必要なのでしょう。その声一声でわからせることができる、それをもって、プロのトレーナーではないでしょうか。
ルーマニアで、私についたパーソナルトレーナー(フィジカルトレーナー)は男女二人とも、体重100キロ級でしたが、それなりに学べるものがありました。自分の体が管理できていないようにみえました。とはいえ、他人を教えることができるなら、よいとも思えます。となれば、声のないトレーナーも、何か取り柄があればよいと思っています。皆さんも、こうした問題意識を持って、励んでください。
ここにも、他でトレーナーをやっている人が、学びに来ています。「ヴォイトレのビフォーアフター」で述べましたが、ヴォイトレに資格や定義が決められていないのですから、誰でも、いつからでもトレーナーを名のれます。トレーナーであれば、そのトレーニングで何が得られる、つまり何がどう変わるかを明確にすることです。