こういう方法のよし悪しは、よく議論されます。しかし、方法やメニュ、トレーニングは、目的のために行うものです。例えば「ハイ」をやったら歌いにくくなったと言っても、当たり前のことです。これは、すぐに歌うためのトレーニングではないからです。
こうした現場をみずに、方法やメニュだけを取り出して、単体で使えるとか使えないとか、正しいとか間違っているかというよう論議や批判はやめてもらいたいものです。
私は「腕立てをやったあと、すぐにバッターボックスに入るバッターはいない」と言っています。トレーナーにおいても、相手においても、同じメニュが、目的、レベル、現状において千変万化します。少なくとも私は1000以上のメニュを持っていますが、どのメニュも変化させて使っています。
1か月先どうしたいかから、1年、5年、10年先をも予感しなくてはいけないから、その人の表現の問題に入らざるを得ないのです。つまり、体から出てくるであろう声の向かう先です。そこで体から出てくる声の必要のないこと、使っていられないこともあるからです。
表現に合わせて声を使わせるレッスンの多いなかで、私は基本的に「出てきた声の上で表現を動かそう」という主旨です。
すると声の完成度の高い声域、声量、音色での表現となります。現実には半オクターブくらいでのフレーズトレーニングが中心にならざるをえません。その人の声と歌、セリフをどのようにみていくかは、本人と相談しながら進めていきます。そこで方針、これは方法と共に将来的な可能性と展開についての予見を伝えて、考えてもらうのです。