1.悪い原因を探り、対処する(調整)
2.欠けているものを補う(補充)
3.強化する(鍛錬)
本来のトレーニングは3にあたります。
頭で考え、科学的に分析すると1、2にエネルギーが行くのです。
日本のサッカーのエリート教育みたいなもので、平均レベルは上がるがスターは生まれない。スターは、教育の前に、自由奔放に、路上サッカーなどで、その強化の時期をふんでいるので、天才となりえるのです。これはアーティストや音声を扱うようなパフォーマンスにも求められるのではないでしょうか。
本能的に極限状態を求め、大きく器をつくること、それには、もっと野性的であってほしいと思うのです。
トレーナーの過保護、丁寧さ、やさしさ、ほめすぎ、リスクや危険の一方的な防止、禁止と甘やかすだけではなりません。
規則正しい生活がよいのですが、いつも、そういうトレーナーの制止を、振り切れとも願っているのです。
多くの人は、大してムチャもやってないのに制止を願っているようです。まるで自主規制です。これでは何万人どころか、何十人の心さえ動かせないではありませんか。そのうちヴォイトレ・ホスピス編を書く破目になりそうです。暴走するアーティストをなんとか制御するのがトレーナーやプロデューサーという関係でありたいと私は思います。