日本で最初に参考にしたのは、日本の歌手や声楽家ではなく役者でした。役者の声を持てば、歌が変わるということです。そこにあったのは、声の表現力、個性といったオリジナリティの豊かさです。
日本のミュージカルと黒沢映画を比べてみてください。あるいは日本のミュージカルとブロードウェイのミュージカルの明確な差を感じてみましょう。劇団四季の人がたくさんいらっしゃる前から、マドンナプロデュースの「エビータ」(マドンナ、アントニオ・バンデラス)とで徹底した比較をしました。主役の2人だけでなく、他の歌についても差が何なのかということです。ブロードウェイへ行く人も何名か短期でみました。
声の芯、深さ(胸中共鳴)、そして声量(圧力)やインパクト、エッジ、ハスキー、リズムや切れ込みの鋭さ、加速度、パワーなど、日本の歌が失ってしまったもの、追いつけていないものがあります。
日本の歌とひとくくりにするのは乱暴ですが、そこを足らないと気づいた人が変えていけばいいのです。このあたりは、私は、
やれている人はやれていることでよしとし、
さらなる高みを目指すなら、+α
やれない人はやれるための+α
それがレッスンやトレーニングで得られると考えています。
得られないものもあるでしょう。日本の評価基準も確立していない。メロディとリズムが取れて、そこに歌詞がのっていたらよしというように問われているぐらいでは(その形が音楽や声なのに、ルックス重視となれば)、ど真ん中のトレーニングで成り立たないのは当然でしょう。1980年代からの作品の多くは成り立っていなかったとみてよいと思うのです。