せりふや歌なら、表現としての成立は、オリジナリティです。セリフや歌というもののはるか上の判断をもってレッスンを行うことは、難しいでしょう。基礎なら、「体や感覚そのものを将来に対して大きく変えていくこと」を行うことです。
トレーナーは、「先での判断をもって今のレッスンを行う」というのが、私の考えです。
リズムや音程も、複雑なものを、その音にあてることで、「正確にあてたから、OK」というのは、あまり感心できないことです。今の状況や状態での慣れを問うているだけです。その人にとっては進歩かもしれませんが、それをやらなくても、日常のレベルでできる人がいます。それが日本で日本人で、ということであれば、そのくらいのことなら、本当の実力にならないのです。でも、慣れから入るのも大切なので、入口としてはOKです。
歌手は、そんなことで音感やリズムを得てきたのではないのです。発声のレッスンなのに譜読のトレーニングで終わっていることもあります。それも基礎ですが、人に教えるためにそこを重視しがちです。
トレーナーに学ぼうとする人も、そういうトレーナーにつくのでその傾向が助長されます。器用な人と器用なトレーナーほど、そういう影響力で目的の設定をしてしまいます。