「器を大きくする」と、私はよく使います。これは応用力をつけることです。仕事でのいろんな要求に応えられるようにすることもですが、本当は自分の最もオリジナルなところでの表現(これは、それゆえ、しばしば世の中に認められない、嫌われる)を通じさせる力ということです。
日本の、誰かのようになれば充分という、輸入文化のまま、「外国人のように」とか、「昔の師匠とか先生のように」と、他人の作った基準でみてしまうのは三流国です。いつも、ダブルスタンダードとして両立させる努力が強いられます。
日本では、器用にまねのできる人が重宝されるので、そういう人がプロになり、トレーナーになり、悪循環が続いています。
トレーナーと実力派アーティストとの関係が築かれていかないのは、歌のレッスンは心身の管理に終わっているのは、なぜでしょう。プロ歌手も、基礎と言いつつ基礎を身につけようとしていない、喉にかからない共鳴で正確に歌いこなせたらよいというのが実状です。
自分の体からの芯のある声でのオリジナリティの確立に至らずに、です。
一流のアーティストや役者に、対応できているトレーナーはとても少ないのです。アイドルやモデル、タレントにアドバイスできてよしとするくらい、スタッフ、トレーナーとも、未熟な世界です。声も弱体化してスターも出なくなったのです。