私のレッスンのスタンスは変わりません。はじめは表現よりも基礎を、今は、人により基礎より表現を中心にすることもあります。基礎は、トレーナーがやるからです。この分業体制を無視して、私のレッスンを部分的と思う人もいるので、最近はそういうレッスンをアドバイス・レッスンとしました。
基礎はピアノをひいているだけ、グループではすぐれた歌をCDで聞いて、2、3フレーズをやってみるだけ(相互に聞き比べ、自分なりに調整していく)表現は、フレーズを歌ったり、せりふで言うだけです(1コーラスのこともある)。
「~だけ」というのは、後は本人に補わせるためです。
レッスンでは、何よりも主体的になることです。それができるまでには、時間がかかります。かなりの個人差もあります。本人がそこで、私(やまわりの人)の心を動かす表現を声を問うのです。
表現というのは、色づけがされた声(オリジナルフレーズで、くせや個性が入る)です。基礎は、応用性の高い柔軟で変化に応じられる声です。それは無色です。本人が主体、トレーナーはサポート役です。
自分のもっているすべてを早く教えてしまおうとトレーナーが頑張ると、授業パフォーマンスが作品、生徒は観客となってしまうのです。「先生みせてよ。すごい」これでは本末転倒なのです。