個性とは、多様なものですから、それに基づくレッスンでも多角的にものをみるようにしています。そのことは、共通化、共有化、ルール化が必要とされる実際のトレーニングにおいて、多くの問題を引き起こします。まして組織として、複数で行うと尚さらです。複雑になってもしかたないので、どこかで「エイヤ!」とシンプルに切らざるをえません。たとえば、効果となると、トレーニング前と後に比較ができるような指標をとらざるをえなくなります。
人間は、わかりたいし、わかりやすいほうをよいと思うので、自ずとそういう方向に進んでいくのです。そういう方向に進めている人が評価を得ているとそっちへ行きたくなります。組織ができるといつ知れず、それが固定観念となっていきます。例外を許さなくなっていくのです。ミュージカルや合唱団なども、その傾向が強いですね。何にあっても「道」というものがつくられやすい日本人は、一糸乱れぬことに美を見出そうとする意識が強いように思います。
一般の人だけでなく、さまざまなトレーナーや専門家がここを訪れてくださいます。それが、固定観念を妨げてくれるところがあります。
人は、正解を求めてくるのですが、私は「そんなものではない」と述べています。
私の本を読んできた人も、同じことを聞くことがあります。つまり、突き詰めると「でも、正解は?」
これについては、レッスンという場も、時間が限定された特別な空間として、ある目的をもつ場合での仮の答えとして考えるしかありません。トレーナーに接する時間や場を共有し、ヒントを得るために使うことです。