私は、あるときの合宿で、声=音の無力さを証明するような体験をしたことがあります。20名ずつの舞台で、あるとき、リハで音声だけでパーフェクトに成り立たせたのを、ちょっとした振りと動き、ビジュアルの効果を入れたところ、音声の完成度が格段に落ちてしまったのです。演出している私以外、出演者もみているお客(出演者の控え)も気づかなかったのです。
目にみえる効果が入ることで音の世界がこんなに壊れる、しかし、客は、そういう効果に目を奪われ、トータルとして作品がよくなったとさえ思うのです。
舞台ですからビジュアルの効果が大きいのは当然です。しかし、ここのメンバーは、声=音中心をメインにしてトレーニングしてきて、ビジュアル効果をトレーニングしてきたわけではないのです。耳と声は充分鍛えてきたと思っていたのでショックだったのです。
私のような、耳だけで、目をつぶっているかのように判断するというような音に厳しい客がいないと、音より視覚効果に力を入れるのが当然なのでしょう。私がプロデューサーや演出家であったら、声のちょっとした変化を示すよりも、手の動きで示す方を客に伝わるということで選ぶことになるはずです。私がアーティストでも、迷わずそれを選ぶでしょう。
一般の客の耳での判断力は低く、目での判断力が高い、これが日本の、日本人の音声表現力の育たない最大の原因と私は思っています。ヴォイストレーナーからみるから、よくないということですが。
このことを踏まえた上で言うなら、音の世界での完成度を落としてはいけないのです。絵のために音を犠牲にするなど論外です。動きとしての振りも本人のなかで、表現=振りと音とが完全に結びついていなくてはならないのです。