私が、当初からオリジナリティの発掘などを、自分に頼りすぎないように感覚や体を磨き、一流のもつオリジナリティにふれつつ、聞き込むことを中心のプログラムにしていたのは、なかなかのものと思います。その先に自分で歩むことを求めない人には、ただの遠回りに思えるかもしれません。
アーティストであるなら、自ら釣った魚を自らさばいて食べるべきです。いつまでも魚を買っているばかりではいけないということです。
基礎としての基準づくりは、まわりと相関させながらも、独自のものです。他人とは一致しないものです。
それが応用されたときに他人と明らかな差異が出てこなくてはなりません。ここで日本人は、大きな勘違いをしてしまうのです。他人と同一化する方へ自分をゆがめてしまうのです。憧れたまま、まねてしまって終わるのです。
自分だけのものを、よしあしの前に見極めなくては、声もフレーズも決まってこないのです。そこで必要なのは、発声技法でなく、本当に、声からの表現を導く発声、フレージングです。