コメントにも、わかりやすさばかりが求められるようになりました。
たとえば、音楽を「聞いて、わからない人に説明しても仕方ない」です。しかし、そのコメントをきっかけに何回も聞く人もいるというなら、やってみる価値はあります。万に一つでもそういう効果があるならお勧めします。それがレッスンというものを支えるなら。
続けていると、あるとき「わかった」とくる。学ぶというのは、そういうものです。
今日聞いて今わかったとかわからないなんか、どうでもいいのです。そんなに簡単にわかったなら、大して、あなたが変わることではない。
わからないものなら、それがもしかしたらわかるだろう、わかりたい、わかったらおもしろいかも、などとなるかもしれない。そういう「いつかの自分」への直観を働かせて期待するのが、「学ぶ」ということです。
今の人は「わかるように教えてくれ」とか「わからないからつまらない」とか「わからないものはよくない」と、自分で幼い判断してしまうのです。今のままでいたくて、将来もずっと変わらないと宣言してしまっています。それでは幼児以下です。