夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

相性

あなたが好きなトレーナーは、あなたが好きだからうまくいくようにみえます。それは人間関係であって、レッスンの成果は同じではありません。あなたが合わないトレーナーとやって、そこで成果が得られたら、それはもっと大きいです(トレーナーを方法に置き換えてもよいでしょう)。

 声は日常のこれまでの経験の上に使ってきたものです。普段の生活の習慣、環境はなかなか変わりません。そこを変えることが飛躍のカギです。オペラ歌手にとって留学が勉強になるのはそのためです。弟子入りというのも、その手段です。

 よほどのエネルギーがないと自分では無理難題や不条理なことはやりません。無理とか難題と思っているからではなく、イメージにないからです。それは相対的なものですから、同じ以上のことを難なくやっている人もいます。その人からみると、ごく当たり前のことなのです。

 自分の生活で、必要がなければ、誰もわざわざ嫌いな人や合わない人に会いには行きません。仕事なら、必要があれば否応なしにそういう人と会います。そこで合わせていくうちに、嫌いでなくなったり、合うようになってきます。それは、あなたが変わった、大方の場合、慣れたのです。相手も異常者ではないのなら、これまであなたが自分のイメージに囚われていたのです。

 表現の仕事のほとんどは否応なしのもので、自由に選べることなどほとんどないのです。自由になるために不自由ななかで自由になれることが必要です。その判断が歳とともに固まってくる分、若い人に可能性があるのです。固めないことが大切です。声や歌もそのように考えてみるとよいでしょう。

習わしと慣れ

嫌な人はどこにでもいます。表現すると、知名度が高まると、そういう人が刃をかざしてきます。嫉妬、妬み、引き摺り降ろす、世間体のように見えない圧力も大きさを増します。

日本では今も昔も大して変わりませんが、露骨でなくなって、陰険になりました。自分の意見として突っかかってきた昔の方が、お互いにその後の成長もあったと思うのです。

 精神力という心の問題は、慣れることでかなり解決します。

 ここでも、レッスンに「来たくないときでも決めたことだから実行しましょう」とアドバイスします。他人であるトレーナーと会い、その前で声を出す。慣れからです。その習わしで慣れて習慣となります。毎日のトレーニングで意識が改革されます。外の環境が変わり、内なる環境が変わると、本人に力が宿るものです。そして、トレーナーや周りの人に少しずつ認められていきます。

 それを買物のように、「もっとよいトレーナーいませんか」「もっとよい方法ありませんか」「もっと安く便利に早く」と言ってどうなるでしょう。研究所はいろんなクレームを受けて、日々改革されていきます。感謝です。でも、その人は変わらないでしょう。

タフさ

極端にする必要性は、パラダイムでの揺さぶりのためです。どうしても人は一つの見方に偏りがちです。「細かく丁寧に」と、「思い切り大胆に」は両立しにくい。表現は、そのギャップに生じるのです。どちらも自由に行き来できなくてはなりません。

 それを学ぶのが、人につく意味だったのです。「俺に惚れて弟子になったなら、俺の心地よいように振る舞え」と言ったのは、談志師匠でした。

 人前に何かを表現しにいくのは、弾の中を生身で歩くようなものです。

 「メンタルに弱い」と初対面で言えてしまう、今の日本の状況では、声と共にタフなメンタル基礎力育成が必要です。

 舞台のレベル、特に音声力、身体力、精神力は日本では、著しく落ちてきています。高度成長期の日本のセールスマンくらいのタフさがあれば、今、この世界では引く手あまたと思っています。それくらいに人材が少ないのです。

 

基本と極端、はみ出し

他人が与えたメニュで難しいことをやるよりは、自分の選んだ一つのシンプルなメニュを使うことが大切です。それを極端に長くしたり大きくしたり高くしたり低くしたり変じさせてみましょう。その方が気づきやすく学ぶところも大きいでしょう。気づけるようにメニュをセットできるようになりましょう。そうでないと、メニュを使う意味がないのです。

 プロ歌手は、ヴォイトレのメニュを使わなくても、そういうことを一つの声や一つのフレージングでやっています。それ以上の効果を出さないなら、メニュなど不要です。

 私の述べた声の10+10、歌の10+10の練習を、彼らはスケールということでしていなくても、歌のフレーズでやってきたのです(ただ、デビューしてからこそが勝負なのに、そこからあまりやらない人が多いので伸びないのです)。その間にバランス感覚(まさにプロのプロたるゆえんは、この感覚ですが…)を極端な試みを楽しむうちに捉えてきているのです。

 これは、応用しても、はめを外さずまとめるために、なくてはならない能力です。MCやタレント能力もこれに含まれます(ただ、プロになってから余りはみ出さないようにする人が多くなっておもしろくなくなるのです)。

 私はトレーナーの立場を超えて、この極端をレッスンに取り入れていました。一般の人が多くなって、かなりのものは制限しましたが、昔のものからも学んでください。

 

くり返す

シンプルな繰り返しをすると、シンプルにできることのなかにいろんな試みが出てきます。そこで、自分の状態やできたことを把握していくのです。回数をたくさんくり返すとか、たくさんのメニュをやるというのではありません。

 発声のスケール練習やコンコーネ50で、パターンを覚えてきます。一つのことだけを何回もやっていては、変じられずに飽きて鈍くなり、頭も体も固めてしまい、気づかなくなってしまうからです。数を増やしたり、バリエーションを知るために、次々にやればよいだけではではありません。

 時間で稼げるときには、量の徹底も大きな力となります。これは、あとで効いてきます。身体の応用力や聴く力は、飽きるほどくり返す行為の中で高まります。

 コンコーネ50(ポピュラーなら15番のメニュくらいまででもよい)を発声として使うのは、「コンコーネの1番」だけで、すごい(ポピュラーならおもしろいでもいい)と思わせるためです。日本中の音大生は50曲以外に他の教材まで暗唱できるのに、一曲だけですごいと思わせる人は、ほとんどいないでしょう。長期目標のなかでの基礎なので、そういう位置づけですが、そこで出来、不出来でしかみていません。スタンスや方向がよくないというのは、こういうことです。

囚われない

シンプルなフレーズの繰り返しで、頭のなかを消しましょう。研究所のトレーナーは「頭をからっぽに」とよく注意します。頭でなく身体から動かないと声は出てこないのです。

 それを知るトレーナーは、発声のためには、体力づくりや身体の柔軟管理を第一の条件と考えます。

 発声をすると喉が疲れるという人に、「声帯の仕組みと使い方を学んで、それにそって出してください」などと言うのは、一つ間違うととんだヤブ医者になりかねません。

 この場合、原則として、ということは、大半の人には、ということです。喉のことは忘れて、イメージ、耳、体感で自分の状態と声のチェックを優先しましょう。最初はトレーナーの耳を使って、そのうち、それを参考に自分自身で判断できるようにしていくのです。声そのものに集中しなくてはいけないのです。眼を開けつつ、映るものに囚われてはなりません。

 姿勢のチェックはレッスンとして大切ですが、それだけに囚われるのもよくありません。声の出やすいように、どんな姿勢をとってもよいというアプローチもあります。姿勢から声を方向づけるもの一つのやり方ですが、その前に声の出方から姿勢を考えたり変えたりしてみるのもよいことでしょう。

 そういうことに気づき、レッスン外でどう試みるかが学んでいくということです。トレーナーが「よくなった」と言ったとしても、「今の自分にはこの方がよい」と、それが正しいかどうかは別にして、今のあなたの気づきとして得ていくことが大切なのです。

使えない教材

声にはメンタルとフィジカルの要素が大きく関わります。だから、やる気だけで大声を出すしか取り柄のないようなヴォーカリストも活躍できているのです(ここでは日本人だけでなく海外のヴォーカリストのことも言ったつもりです。今の日本人のヴォーカリストは、センシティブすぎるくらいです)。

 だからこそ、シンプルなメニュなのです。私は、初心者しか買わないような本の発声練習やメニュ、ヴォーカルの教材、教本などがハイレベルなので驚きます。

 私の基準でみるなら、「それがこなせるくらいなら、その教材を使う必要はない」と思うのです。「喉の状態の悪い人に喉を絞めてしまうメニュ」であったり、「高い声が出ない声に人にハイトーンのメニュ」中心であったりです。独学で使うと、より雑にいい加減になって、悪化はしても、よくはならないでしょう。

 できないことをやらせているうち、できるようになるかのような考えでつくられたようなものが多いのです。そういうメニュで無理して高く出していたら、その高さに届くようになったり、そのパターンをくり返していたら音やリズムが外れなくなった、という表向きのわかりやすい効果を狙っているのです。その先はありません。つまり、効果をエサにして、本来の限界以前に、くせをつけて少し伸ばしたところで可能性を止めてしまうものとなっているのです。

 メニュが悪いというよりは、使い方が悪いというので、トレーナーのせいとはいえません。大体は、それなりに声に恵まれ、すぐれているトレーナーが自分の使ったメニュです。そのトレーナーも音がとれているだけで、声としては、こなせていない喉声の人も少なくないのです。

 私がよく述べている、ヴォイトレの名のもとで、声そのものは扱っていないという例です。つくる側の立場としては、そうなるのもやむをえない事情もあるし、それもわかるのです。何と言っても、つくる方は大変です。それでうまくいくところまでで充分という人もたくさんいるからです。

明らかになる

「できない」とか「うまくいかない」と思うのは仕方ないとしても、発声や歌で悩んだり苦しむのは逆効果です。レッスンやトレーニングは楽しみましょう。

 できないことをやるからめげるのです。できなくても、うまくいかなくても、先に行けないのではありません。ずっとできないし、うまくいかないかもしれません。それがわかったら、いくつも道があるのです。多くの場合、そこが曖昧なままだから深まらないし、抜けられないのです。

 同じことをくり返す。そして深める。できることをくり返す。確かにできるようにしていくのが本筋です。

 日本人はどうも学ぶプロセスに1、2、3…10、11、12、…20と考えがちですが、実のところ1→2→3とうまくいかないから、1→2→6、1→6→2などが起きます。声や歌に10も20も必要、基礎の力がある方がいいとはいっても、必ずしもその10、20が必要なのではないのです。両方が人より足らなくても100に近づけることも可能なのです。

 声そのものの可能性に見切りをつけるヴォイトレもあってもよいでしょう。それだけがレッスンでも、まして表現でもないし、人生でもないのです。

 だからこそ表面上、ある音に声が届いたとか届かないとかに振り回されて一喜一憂するようなヴォイトレは卒業しましょう。自分の個性、可能性、限界の全てを明らかにしつつ、より深く丁寧に声の世界をつかんでいくようなスタンスで構えてほしいのです。

ど真ん中の声

自分の声を聞く。「そのなかに本物の声がある」とはいいません。この声は、思いとか言いたいことではなく、そのまま声という意味です。本物の声というとわかりにくい、誤解を招きやすいので、「あなたのど真ん中の声」と言います。

 ピッチャーの投げる球のど真ん中は、ストライクゾーンの真ん中ということになりますが、私がいうのは、そのバッター個人のど真ん中、つまり、彼がもっともホームランにできるコースを示していると思ってください。

 ですから、私は最初のレッスンでは、音の高さも声域、歌詞も、曲も全てを無視することもあります。

 一声だけ、最もよく出せるところで、声というもの、発声と言うものを徹底して把握するようにしてきました。声を伸ばすだけで、そこに何ら感じられない人がどうして「本物の声」にたどり着けましょう。

 声はトータルの1割と述べましたが、数秒の声一つで、ある瞬間には全てになります。1フレーズあれば、一流の歌手は感動させたり、魅力たっぷりに聞かせたりできるのです。

判断レベルを上げる

発声とか歌とかが正しいかなどを問うのはありません。いかに声の状態を把握できているかを問うていくのです。正しくというよりは、その把握の精度を少しずつ深めていくのです。

 私はあなたの声の「ハイ」だけで100のマップ(声の図)を描けるでしょう。歌の声なら「わたしは」という1フレーズの歌詞だけで、声の状態から、歌としてのよしあしを「わ」について「た」についてと、点数もつけられます。プロの歌手が聞いて納得するだけの説明ができるでしょう。聞く耳のある人であればですが…。

 私自身の見解を示すとともに、必要であれば、他の一流の人の耳ではどう聞こえるのか、その相違をことばにすることもあります。

場合によっては、本人がどういうつもりでどのようにやろうと試みて、その結果、どこまでうまくいき、どこでだめだったかを、本人に説明するでしょう。高度な仕事上の能力ですが、私はレッスンを通じて、そういう耳の力をつけさせるようにしています。

ベースをやるということ

ベースとなるトレーニングは、できることでよいから丁寧にしっかりとやりましょう。

 調子のよいときは少し無理してもよいです。悪いときはベースとなるトレーニングがしっかりとできるように戻すことです。本やトレーナーを使って、「できないことを無理してやる」のはよくありません。むしろ、反対です。「できることを丁寧にくり返しする」のです。

 できていないことはできないのだから、そこをやるのではなく、一つ下のベースを掘り下げていくのです。

 教えることも同じです。教えてできることなら教えなくてもできるのだから、教えても仕方ないのです。本人が気づくまで待ちます。それを問うた状態で、どこまで、いつまで保てるかがトレーナーの力量です。

 できたのにできたと気づいていないなら、できたと伝えることが必要なときもあります。

 「わかる」「教える」ということばはあまり使いたくありません。「わかる」と「できる」、「教える」と「伝わる」は違うからです。

雑念を切る

トレーナーにつくのは、メニュや方法に振り回されなくなるためと思ってはいかがでしょう。一人でやるとプロセスに確信が持てず、疑問を持つことでしょう。そこで他の人に聞くのはよいことです。まして専門家であるトレーナーの意見、アドバイスは貴重です。しかし、そこにさほど客観性はありません。そこをあまり期待すべきではありません。その理由はこれまで何度か述べてきました。

 自分の頭で、「こうやれば、こうしなくては」、というのは、すでに対応を誤っているのです。なぜなら、本当にすべきことは自ら対応できる範囲を超えていることだからです。

 それならば、トレーナーや本も含め、早くあらゆることを知った上で、全てを忘れて捨てるというのがよいのです。考えすぎて悩むタイプの人へのアドバイスです。雑念を切るのに雑念をたくさん入れ、徹底していくのです。それに本もトレーナーも使えばよいのです。無意味を悟り、忘れるプロセスとして使うのは、高度な使い方の一つです。