夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

研究所史(3)

ある時期に、研究所のプロダクション化やライブハウス運営、専門学校化をやめました。判断も、その都度、学びの材料として、皆さんに提示してきました。

 できること、できないこと、やりたいこと、そうでないこと、やるべきこと、やるべきでないこと、多くのことをジャッジしました。

 私は、研究所を創り、支えるために、プロダクションやアドバイザー、コンサルタントをしていました。企業やプロダクション、大学などの内情に通じ、一方で、ビジネスや政財界、マスコミ業界、芸能界、学会などとは、あえて均等に距離をとっています。その中では、教育界、医学界、健康・メンタル関係者との関わりが多くなっていきました。

 コンサルタントと事業化というのは、タレントとプロデューサーというのと同じく、両立しがたいために中途半端にもなったと思います。それゆえ、見えてきたこともありました。突き詰められずに得られなかったこともたくさんあったと思うのです。しかし、そこで得たことを次にどう活かすのかを優先しています。

私はまだ人生を回顧する立場にありません。研究に専念できる体制づくりに随分かかったゆえに、人よりも多く学べたように思っています。研究所の歩みは、すでに「読むだけで…」(音楽之友社)にまとめました。参考にしてください。

研究所史(2)

芸事の伝承を標準化しようとしたスタイルの一つが学校です。カルチャー教室やビジネススクールもあります。研究所は、プロとの個人レッスンが集団レッスン、グループレッスンに変じました。一個人の研究から、複数での普遍化へ、自らの声を研究したい人が集まり、切磋琢磨するということで、集団化の流れをとりました。プロダクションや企業、コーラスやバンドとも関わっていました。私のなかには、いろんな考えや方針がいつも混在していました。

 それを、若い人や、年配の人がそれぞれに、どう受け入れ、結果どうなったかも、ずっと渦中でみてきたのです。

 他の組織の歴史や関わった人たちのその後も研究所の歩みの中に凝縮されています。いろんな選択がせまられました。何かを選んだために捨てざるをえなかったものも多々あります。成功も失敗もたくさんありました。第一線にいるためには、方向転換や変革の連続だったのです。

研究所史(1)

この研究所は、ロック、ポピュラーの声づくりから始まりました。その後、声優、役者などの声づくりに拡がりました。欧米のメソッドを参考にしつつ、声に関しては、日本の役者の声づくりを応用したといえます。

 次に、音楽(洋楽)スタイルを目指す歌手に補強として、最初はカンツォーネナポリターナ、次にシャンソン、ラテン、ファドを使いました。前者は、声質、声量、声域、共鳴、後者は、ことば、せりふを中心に日本語と外国語の問題の対応に役立ててきたのです。噺家、お笑い芸人、邦楽家とのトレーニングを経て、一般の人やビジネスマンと接して、一般化していくことになったわけです。

 

 ここには、8つの音大出身のトレーナーがいますが、そこまでに音楽大学(声楽)以外に、ミュージカル(宝塚、劇団四季東宝系)、ポップス、ゴスペル、ジャズ、コーラス(合唱、カラオケ)関係者、プロデューサーや演出家(日本、韓国ほか)、いろんな専門家やトレーナーと接してきました。今に至るまでに、プロも、噺家、声優、朗読家、役者、ものまね芸人、民謡歌手、長唄、詩吟の師匠など、まさに声と歌唱について、研究所はさまざまな世界と接してきたのです。

軸のとり方

私は、日本と西欧(アメリカも含めて欧米としてもよいのですが)の対比から入りましたが、今はワールドミュージックエスニック音楽(日本も含む)とクラシックの軸で考えることが多くなりました。日本が特殊とみるより、クラシック音楽が特殊とみるほうが説明がつきやすいことが多いからです。そこで欧米のポップスをどう位置づけるのかは悩みますが…。

 日本人がクラシックで才能を発揮するのと同様、外国人も、邦楽で活躍し始めています。幼少や若い頃から日本の文化に慣れ親しんでないとはいえ、今の日本の若い世代もまた、日本の伝統的な因習に切り離されているので、こうなると似たようなものになりつつあるとのです。

プログラミング

欧米で私が学ばされたのは、世界のあらゆるものを標準化、プログラム化して、システム的に伝承していこうという考えです。大航海時代、彼らにとっての未開の地を征服していくのに、学者を連れていく。動物や植物を収集、研究して、体系化する。そのために自国に動物園や植物園までつくってしまうという徹底さです。欧米列強をまねて、日本も短い期間に他国へ進出、同化政策をとっていましたが、世界戦略については、経験が浅かったといえるでしょう。

根源的な問い

小泉文夫さんが「外国人が日本の古典、あるいは、伝統芸能を学びにきたら、案外と早く学べるだろう」ということを述べていました。いくつもの流派を、これまでの日本の師匠たちの不文律を超えて横断的に学ぼうとするし、師も外国人だから、わかりやすく説明するからと、私もその通りに思うのです。

 「なぜそれをやるのか」という根源的な問いは、その世界やそこの第一人者に憧れて、手習いから入っていく後輩には発せられないし、無用でしょう。一芸を一つの流派で一人の師から継承していく、幼い頃から長年にわたり究めていく人は、中心にいるほど、そういう発想はないのです。日常的に慣れ親しんできたことが、芸となりゆくからです。

それに対し、外側からくる人はよそ者ですから、客観的にも批判的にもなれるのです。そのため、よい批評家、評論家、あるいはトレーナーになれるともいえます。「なぜやるか」は哲学で、「どうやるか」はメソッドです。

判断の違い

喉の筋肉における運動強度の判断を、私はずっとしてきました。絶対的なことは言えませんが、ややきついくらいがよいトレーニングになるのは確かです。今の状態の改善よりは将来に向けての改革ということです。

 表現が豊かなとき、特に、感情表現については、喉の状態は、ベストよりやや悪いときが多いのです。すでに疲れている状態に近いのです。これを歌手、特に役者的な表現力をもつ人は、声の表情が出やすく感情が客に伝わるので、表現力と思い、好んでしまいます。その区別のできない人が、プロでも大半です。

 しかし、それは、あたりまえのことです。彼らはトレーナーではありません。表現を発声より優先するからです。だからこそ、プロデューサー、演出家、アーティスト、そして、本人自身と、トレーナーとは判断を異にしなくてはいけないのです。その判断が、日本という環境で、日本人として歌い続ける歌手に対しては、独特なものでした。世界のレベルとは異なるものが優先されてしまうのです。今の歌い手は、そこからみると表現のリスクを避け、発声で喉を守るだけになっているのです。それは周りも認めやすいので、矛盾さえおこさず問題さえ気づかないで終わってしまっているわけです(欧米では、日本人にとってはこの「疲れてきているくらいの声」は、「全く疲れていない声」として何時間も同じように使えています)。

マッスルメモリー

長期の絶対量からは、効率的ではなくても、フィジカルやメンタル面で、得たものが多々あったと思っています。自信も、人より時間や情熱をかけたということにしか根拠はおけません。継続していくことの大切さを身に入れました。その上でようやく、今の自分を把握して、うまくバランスをとれるようになります。

 そうこうしているうちに、体調が悪いときにハードな練習を行って、悪化させるようなこともなくなりました。無理ができなくなったともいえますが、年を経ると、その分、知恵と技術がつくものです。

 若いときのトレーニングは、昔とった杵柄で、体に記憶されています。声を扱う喉のマッスルメモリーは確かにあります。他の筋肉よりも微妙にコントロールしなくてはなりません。

 この辺りが、「声が太く鍛えられている人は、どちらかというと音楽的に鈍く、器用で音楽的な才能に恵まれている人ほど、声は鍛えられていない」という、日本人の独自の問題があるように思います。私は、そこをずっと追及してきたのです。

 なぜ、日本人は(特に歌手)、デビュー時でマックス、その後、3、4年で歌唱力が落ち、平凡で器用なだけになるのか、向うの人のように、いつまでもしぜんに声を扱えないのか、それを取り巻く環境と共に研究し続け、ヴォイトレに結び付けてきたのです。

絶対量としてのトレーニング

私がマシントレーニングを好きでないのは、スクワットを100回行うくらいは、階段で100段以上登っていることで行っているからです。それ以上、時間があるなら、山にでもいけばよいでしょう。それに対し、時間や場がないから効率的に行うのが、マシントレーニング、ジムなのです。

 若いときに私が間違っていたのは、急にたくさんのことを行いすぎたことです。少しずつ、ハードにしていくべきでした。人の10倍やって、1、2倍くらいの効果だったのかもしれません。しかし、それは若いために可能だった時間やエネルギーの使い方でした。絶対量としての量、かけた時間でした。

 トレーニングというのですから、少ない時間で、より大きな効果を求めて、メニュや方法をつくっていくのです。しかし、私は、声に関しても、基礎か表現か問わず、最低限の絶対量なくしては通じないと思います。芸事は声がすべてではないので、ややこしくなっているだけです。こんなことから論じなくてはいけないことになるとは、という思いですが…。

充実感

レーニングで、もし自分を根底から変えるようなものがあるなら、それは、軽、弱、楽でなく、重、強、苦です。そこで練り込んだことを忘れた頃にできているものへのアプローチは、それだけ厳しく辛いものなのです。

 辛いからといって、そのことがトレーニングと思うような人をみると、そうではないとも言いたくなるのもわかります。辛いための辛いは、楽なための楽よりもよくないとも思います。長くなればなおさらです。

自分を高める、向上していくための苦しさ辛さというのは、同時に充実した喜びでもあるのです。そこには、自分を超えることに対しての大きな救い、歓びがあるのです。

マスケラ、ベルカントのマスター

マスケラ、ベルカントをマスターしたという人の中でも、日本で合っているといわれている人ほど大した声にもなっていないように思います。技術としてマスターした声が、それ以前のものより表現力に乏しくなっている人も、たくさんいます。単に「楽に高い声を出せた」だけで判断すると、そういうことになるのです。そこが、ヴォイトレ、発声法、共鳴、マスケラ、ベルカントなど技術の習得を根ざす人が、マニアックに陥る罠です。ここは、本当は判断力での問題です。

トレーナーの死角

トレーナーは、テクニックとして、軽く弱く声をコントロールしてきたことの方向から人に教えます。しかし、自分がそこまでに身につけていた基礎力を忘れている、気づいていない、無視している、もしくは、無駄だったと思って捨ててしまっていることが多々あります。無駄と思ってしまった方法では、長い時間のもつ効用を把握できていないのです。

 器を大きくせず、根っこを深くはらずに、表向きを調整して、出しやすくすると、発声は早く直ります。しかし、それでは、1、2割よくなって、そのままです。短期にみるとよいことでしょう。初心者は、そこでうまくいった、できた、身についたと思ってしまいがちなのです。しかし、それではその先にはいけません。そこから先は伸びません。

 まして、重く深くすることで、鈍く固めてきたような人は、トレーナーにつくとマジックのように声が変わるものです。苦節何年と苦労した人ほど、「新しく画期的な正しいやり方を教えてもらった」とか、「苦労の末、ようやく自ら気づいた」「発見した」「マスターした」と、得心してしまうのです。そして、自分の過去を全面否定してしまうのです。これは困ったことです。