ヴォイストレーナーの選び方[アーカイブ版]

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に  バックナンバーは「夢実現・目的達成のための考え方と心身のトレーニング」をご覧ください http://bvt.txt-nifty.com/trainersen/

プロとカラオケ

何百曲もレパートリーがある人でも、歌は、あるところからうまくなっていかない。それは声が伸び悩んでいるのです。発声よりは、イメージと呼吸によることが大きいです。そのため、100点をとっても逆に感動させる歌にならないのです。

プロにもなれないのです。ただ日本のプロ歌手ということなら基準やレベルが、声からはもはや定められないので、そこには触れません。

 トレーニングとして器をつくるなら、大きくした方がよいし、余裕のある方がよいのでしょう。声域も、余裕のある方がよい。1オクターブ半歌うのに2オクターブあればよいでしょう。そういう人は、カラオケレベルならキィを変えず原曲で歌えます。2パターン(1オクターブ異なって)で歌っていることもあるでしょう。

 ちなみに、カラオケでの歌の退化について、私は、カラオケボックスの登場で身内だけのクローズ空間になったときと、自分のキィ、テンポでなく原調に挑戦になったときという2つのみえにくい時点をあげています。

 

カラオケでの優先順

声量と声域の問題に移ります。わかりやすいのは声域でしょう。カラオケでは1オクターブと2、3音くらいの調整をすれば、およそ間に合います。「高い声に届かない」は、もっともわかりやすい問題です。採点機もあるので音高、音程も次にわかりやすい。リズムもメロディの正しさもです。この3つがセットで、カラオケ上達トレーニングです。

 そのために呼吸法とか腹式といっても、それは柔軟に体をほぐすところの延長上として扱われているにすぎません。喉のリラックス効果を目的にしているのです。

 プロの声、プロの息といっても、深さのレベルは問われません。それを問うとまとまるのが遅くなるからです。上達が遅れたり、一時的に下手になったりします。それを避けて、トータルとして早くバランスをとりたいというのが、カラオケや今のヴォイトレです。

 

カラオケの点数

カラオケの点数を上げる目的であれば、そのヴォーカルアドバイザーは、結果として、私がカラオケの本で述べたプロセスや価値観をとっています。そこで私と対立や矛盾するところは少ないでしょう。研究所にも、そういう目的でくる人もいるので、そこへは充分対処できるようにしています。カラオケ、ハモネプ、合唱などは、ポップスでもミュージカルと似て、声楽出身のトレーナーが向いていると考えています。

 歌手もトレーナーも世につれ、です。

カラオケで日本人の歌がよくなったのでしょうか、声が伸びたのでしょうか。カラオケの普及の効果は、聴くだけになりかけた歌を一般の人に取り戻したといえます。しかし、その普及が層の厚さとなり、すぐれた芸として表現としての歌や声を生み出す土壌とは、なってはいないようです。

 

歌のトレーナー

私の述べていることを素直に読めるのは、もう60代以上のトレーナーやポップス以外の声の仕事に携わっている人ではないかと思います。

 歌手は、お笑い芸人よりも声が使えなくなってきています。才能は客のいるところ、稼げるところに集まります。歌という分野だけの声として、みてこなかった私からみると自明のことです。歌のヴォイストレーナーは、ヴォーカルアドバイザーであって声そのものを扱い切れていないのです。それは、ヴォーカルアドバイスと定義すればよいのです。邦楽や他の分野に対応できるトレーナーはいないからです。姿勢や発声法で教えることは同じでしょうが、根本的にトレーニングで声を変えられるかということです。でも、その必要性がない方が多いのですから、これも愚問かもしれません。

若手の伸び悩み☆

ここでは、ステージ実習やオーディションを目指す人も、ほとんどのケースではマイクを使いません(本人の希望があれば使います)。

 マイクのないところで声をみる、これだけで、カラオケを使って教えるトレーニングとかなり違ってきます(実際は、ステージ実習やマイクを使うカラオケ指導もしています)。

 カラオケにも最近はヴォイトレが入りました。マイクを使わないトレーニングも行われているようですが、1、2年で1、2割うまくなって(なかには3年で3割くらいうまくいく人もいますが)あとの10年はそのまた1、2割くらいしか伸びないか、却って衰えているのではないでしょうか。

 声については、歌がうまく聞こえるようになっていくと気づきにくいのです。☆

 それは、今の若手のプロ歌手(といっても私からみると、ここ30年くらいの傾向ですが)のデビュー後のプロセスと似ています。下手な時期がない、荒削りな時期がない、最初からうまく歌えてしまっているのです。ということは、本人も客もヴォイストレーナーも、その傾向にどっぷりつかっているということです。

歌以外での対応力☆

私のところには早くから歌を専門とする人以外の人がたくさん来ました。外交官、弁護士や企業のセールスマン、役者、声優、語学教師、噺家、芸人、邦楽、今と違って他に行くところがなかったいうことがあったのですが、私も元より歌の専門家とは思っていません。(歌の専門家となると歌手ですが、歌手は、必ずしも歌の指導の専門家ではありません)

 少なくとも世界で大ヒットした歌をもっていたり、そういう人を育てているトレーナーは、欧米では何十人もいます。そのレベルやキャリア、実績とは比べられないです。もはや日本一とかで比べる時代ではないのに、です。

 ポップス歌手よりも声優、役者、お笑い芸人が多くいらした時期を経て、邦楽や噺家、一般の人、声の弱い人も普通にいらっしゃるようになりました。研究所が歌手以外に対応できてきたのは、基本があったからです。求められる声そのもののベースの声がつかめたということです。いろんなヴォイトレのなかでも声そのもののヴォイトレがあったのです。

現場対応のレッスン☆

器を大きくすることを旨としてトレーニングとしている研究所ですが、よく例に出すのが、レッスンの受講者の希望への全対応です。「3か月後の結婚式で歌うウルフルズのある一曲の、一番高い音が出ないから教えて欲しい」というのにも対応しています。その方法やプロセスは、まさに「カラオケ上達法」なのです。でも、考えてみれば、プロへの現場対応も似たようなものです。

 その内容を簡単にまとめると、第一にリラックスとパフォーマンスです。メンタル、あがらないこと、パフォーマンスでの見せ方、マイクの使い方とステージのことと、外側から入り込みます。次に、歌です。声域と音程はチェック、ことばやメロディ、リズムの正しさ、最後に声、そのための発声や柔軟のレッスンです。

 

結果として

私は、他のトレーナーについて語りたいわけでもないし、他のトレーニング方法について論じたり否定したりしたにのでも、そのことで自己肯定したいわけでもありません。トレーニングということを取り上げるのに、トレーニングしている人の現状に触れないわけにいかないので扱っています。

 いわく、どのトレーナーのやり方も考え方も正しい、間違いもない、目的、レベル、相手によって異なるから、外からあれこれ言えないのです。本人の満足度と上達レベルというのも、必ずしも相関していないことを忘れてはなりません。本人が満足するようにするのか、それを超えたものを目指すのかは、基本的なスタンスのとり方の違いです。仕事、ビジネスか、芸かです。

前提

前提とは、基本のようであって、応用のことです。つまり、「カラオケ、そこでみるなら欧米、いや世界の人と日本人は同じように歌えている。素人でも100点出せる日本人はたくさんいる」となります。

 つい、20年ほど前ならカラオケで外国人が歌うと、日本語のイントネーションはともかく、その声では圧倒されていたものです。声量や共鳴のパワーです。30年ほど前までには、TVで映画音楽の特集などでは、日本の声楽家が、その違いを見せつけたものです。

 それでは、声において、日本人が世界レベルの到達するくらいに実力がついたのでしょうか。ここでそうだと言う人はこの先は読まなくてよいです。世の中には、いろんな考えがあります。そこを掘り下げて述べていくと、さらに本一冊くらい必要になるでしょう。これまでもいくつもの例は出していますので、知りたい人はバックナンバーを参考にしてください。

否定

一流のものが、これだけありながら、本質を捉えられないのは、どういうことでしょう。直観力が衰えていることもありますが、元より、声の場合は、聴く耳の力のことだからでしょう。聴力でなく、聴きとる力です。声の表現力、その効果がどこまでわかるかというのは、文化としての国の民度、生活の問題です。つまり受け手です。レベル、対話なら相手、芸なら観客のレベルとして、問われているのです。

 そこでは「秀でている-劣っている」の対比でなく、好き嫌いとか、価値観の違いとされてしまいがちです。スポーツのように同じ土俵や共通の制限がないから、ジャンルとか時代によるとか、個人の趣向、好き嫌い、とされてしまうのです。

 トレーニングで基本を身につけるというのなら、そこで最高レベルのものを定義しなくてはプロセスが成り立ちません。一流のもつ共通項や、そのバックグランドをみるのです。それをしないで、一流の人や身近な見本をまねるだけでは、よくなりません。早くできるようになったつもりでも、それは、できる人と似ているからに過ぎないのです。でも、周りもわからないとなると、それがもてはやされます。そうして、少しずつレベルは低下していくのです。

 今の日本では、こうした本質論を展開していく土俵がありません。「日本人の声は世界に劣っている」というとこりろから述べなくてはいけない分、やっかいです。

 

3冊の基本書と声の本質

考え方の法則を、ルールのようにまとめたのが、「ヴォイストレーニングがわかる!Q&A100」(音楽之友社新書)です。私の経験をまとめた「ヴォイストレーニング基本講座」(シンコーミュージック)の初版から10年ほどかかりました。そこで考えるだけでなく、その実践でのプロセスや効果まで入れて、ほぼ完成させたのが「読むだけで、声と歌が見違えるほどよくなる本」(音楽之友社)で、さらに10年ほどかかりました。

 それは、このように説明するのに時間がかかったのであって、ニュートンのプリンピアのようなものです。比べるのは大それたことですが。かれは「リンゴが木から落ちたのが、地球に引っ張られた」ということを、直感としてすでに見抜いていたのです。誰しもリンゴが木から落ちるのは知っているのに、その本質をみようとはしなかったのです。そのニュートンよりもずっと早くコペルニクス的転換をして見抜かなくても実践できていた人はいました。

 すぐれた声の使い手は太古の時代からいたのです。それは、この100年に関しては、音源でも聞くことができます。世界中の一流レベルのもたくさん残されています。

「ヴォイストレーニング基本講座」とカラオケ

例えば、拙書の、「ヴォイストレーニング基本講座」(シンコーミュージック)と「カラオケ上達方」(音楽之友社)とでは、私のスタンスを逆にとりました。それは、一方が正しく、他方が間違いというのではありません。一方が浅く、一方が深いということでもないのです。カラオケの本は、応用から入り、基本講座は、基本から入ったのです。つまりは、基本から応用か、応用から基本ということで、トータルとしては、同じことです。どちらも、本来は、基本と応用を行き来をしながら深めていくのです。

 何が根本的に違うのかというと、すでにもっている器のなかで調整していく、つまり、使い方によってならしていくのがカラオケです。これは最近の巷のヴォイトレに近いスタンスです。それに対し、今の器をこれから大きくしていくのがトレーニングです。体感覚を大きく変えていくのが、基本講座での歌手、役者へのアプローチです。