夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

吐いて出す声☆

人は、思わず独り言をつぶやいたり、叫び声を常ならざるときにあげます。孤独な修行僧は、読経で心を落ち着けます。

生きるのは、息するというのですが、それは、吸うだけでなく吐くことでもあります。吐いて声を出すのです。それは、孤独からの脱出、人とのつながりをも求めることになるのです。

グロッタル・ストップと吸う音

Glottal stopとは、 声の破裂音で、咳やハッというような音です。

あまり使われない声に、吸う音というのがあります。すすり泣きで出る声です。

「スーッええ」のように話し出す人がいます。「えー」を使うよりも低い立場の人が使うことがあります。「ひいた声」とも言います。

声の仮面☆

声は、変えられるし仮面もつけられます。いずれ整形外科のように手術さえ一般化するでしょう。

 会話は応用ですから、その人のパーソナリティの演出したところ、つまり、キャラで語られることになります。

ペルソナ(仮面)は、パーソナリティの語源です。

声楽の最高峰の技術のマスケラは、まさに仮面の感覚です。声を仮面をつけたかのように共鳴させることを意味します。

クレオパトラは、美貌よりも語学力と声の魅力に秀でていたという新説があります。

リリー・マルレーンの歌声、ラジオの東京ローズの声と、声は歴史のなかで、人々の心を動かしてきました。

BGMのよしあし

私は、自分が生理的に合わない音楽、特に、歌を長時間、流されているのが耐えがたいことがあります。歌詞があるとなおさらです。仕事の場ではもちろんのこと、それが店、観光地であっても、滞在する時間の気分を左右します。

音量も心地よさに影響します。コンサートや映画なら2時間ほどなので、まだよいのですが。毎日となると、心身に影響しないわけがありません。遊園地やスキー場ならともかく、整体や病院では大きな問題に思います。

イメージと声の違い

小説などの名作が映画化されるのに反対する人は、必ずいます。具体的になりすぎて本人の想像したイメージを壊されるのが嫌だからでしょう。脚本によっては、別作品といえるほど変わってしまうこともあります。

これは、朗読でも同じです。また、アニメの声優も、マンガの読者が想像していた声をリアルに出すとは限りません。

一方的なイメージの押し付けになるので、音や声は怖いのです。それを不快に思う人もいるのは、当然です。

重要なときの声

暗く低い声は、まじめで重厚にイメージされます。僧侶の声を思い浮かべてみるとよいでしょう。

荘厳で死の場面にふさわしく、それはアートに近づく声ともいえるものです。

チベット仏教の声明などは、もっともふさわしいでしょう。コーラングレゴリオなどの聖歌もそういった性質を帯びています。

声は、人によっても変わりますが、民族によっても変わります。

しかし、どこでも重要なことは、厳かな声で伝えられているでしょう。

 声が甲高く耳障りなのは、詐欺師といったイメージを連想させます。信頼、信用できないイメージです。そういう声を変えるためにいらっしゃる人もいます。

声と色☆

石の悲鳴が聞こえるので「割った石は使わない」というアーティストが、私の知人にいます。屠殺の残虐性で肉を食べないという類のベジタリアンに通じます。

すでに生命と物質とは、区別がつかなくなりつつあります。

声は、音波、波動です。それを伝えているのは主に電気、つまり、電流です。電子、陽子、中性子と、粒子のなかへ求めているのです。

となると、視覚も色を赤外線から紫外線、すべて波長で捉えるのですから差がなくなってきます。

色の識別の視細胞は2種類あり、錐体細胞に三原色の赤、青、緑が割り当てられています。光があれば、それぞれからヨドプシンを出し、それが電気刺激となって色が識別されるのです。

声を学ぶ

人々の声を聞くようにしましょう。これは顔をみたり、文章で読むのではなく、声に限ります。声を聞くのは、ことばの意味、内容だけでなく、まさにその声を聞いて、真偽や熱意、覚悟を見抜くことになるのです。

それは、そのまま舞台で問われる声の要素に通じます。

「全性格は、声に現る」(アラン)と言います。

 人を裁いたり判断しなくてはいけない立場にある人には、ヴォイトレは必修です。トレーナー、コーチ、カウンセラーの立場の人には、必ず役立つことでしょう。

孔子の「60にして耳順う」

人間の声は、その人を表します。人相や声相ともいえます。

「人格、人間性、人となり、それが、わかるようになったというようなことが『耳順う』だ」と、小林秀雄は、そう解いています。孔子も音楽に詳しかったそうです。

「思うことに従って矩を超えず」よりも、深い解釈です。