「ため」というのは、間ですが、呼吸の支え、声の支えです。
息を声にするのを声たてと言いますが、そこにも高度な技術があります。それは心身を伴い、心身に支えられたものです。
「声字即一切」は、法華経のことです。古くから修行と呼吸は関わりの深いものでした。
Glottal stopとは、 声の破裂音で、咳やハッというような音です。
あまり使われない声に、吸う音というのがあります。すすり泣きで出る声です。
「スーッええ」のように話し出す人がいます。「えー」を使うよりも低い立場の人が使うことがあります。「ひいた声」とも言います。
私は、自分が生理的に合わない音楽、特に、歌を長時間、流されているのが耐えがたいことがあります。歌詞があるとなおさらです。仕事の場ではもちろんのこと、それが店、観光地であっても、滞在する時間の気分を左右します。
音量も心地よさに影響します。コンサートや映画なら2時間ほどなので、まだよいのですが。毎日となると、心身に影響しないわけがありません。遊園地やスキー場ならともかく、整体や病院では大きな問題に思います。
小説などの名作が映画化されるのに反対する人は、必ずいます。具体的になりすぎて本人の想像したイメージを壊されるのが嫌だからでしょう。脚本によっては、別作品といえるほど変わってしまうこともあります。
これは、朗読でも同じです。また、アニメの声優も、マンガの読者が想像していた声をリアルに出すとは限りません。
一方的なイメージの押し付けになるので、音や声は怖いのです。それを不快に思う人もいるのは、当然です。