夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

研究所史(6)

たとえば、研究所の発足当初は、時間など誰でも気にしませんでした。劇団のように、最初のレクチャーで3~5時間連続でしたが、誰も去りませんでした。2時間でも長すぎるという人が出てきたのが1997年頃で、転機とともに第一期の終焉でした。 私のところは、…

研究所史(5)

研究所のレッスンは、集団グループからマンツーマンに移行しました。多くのトレーナーや生徒さんが通っていると、いろんな考え方が持ち込まれます。未熟かつ柔軟な組織だったときは、その場の相手との対応で自由にできていたことが、形ができて、それを求め…

研究所史(4)

今の研究所は複数名(2~4名)のトレーナーによる個人レッスン指導が中心です。それと、いくつかの研究会、勉強会、実習、研修をしています。そこでの体制として、参考にしたのは、邦楽とクラシックの世界です。 一人のカリスマが一つの芸を確立させた、ある…

研究所史(3)

ある時期に、研究所のプロダクション化やライブハウス運営、専門学校化をやめました。判断も、その都度、学びの材料として、皆さんに提示してきました。 できること、できないこと、やりたいこと、そうでないこと、やるべきこと、やるべきでないこと、多くの…

研究所史(2)

芸事の伝承を標準化しようとしたスタイルの一つが学校です。カルチャー教室やビジネススクールもあります。研究所は、プロとの個人レッスンが集団レッスン、グループレッスンに変じました。一個人の研究から、複数での普遍化へ、自らの声を研究したい人が集…

研究所史(1)

この研究所は、ロック、ポピュラーの声づくりから始まりました。その後、声優、役者などの声づくりに拡がりました。欧米のメソッドを参考にしつつ、声に関しては、日本の役者の声づくりを応用したといえます。 次に、音楽(洋楽)スタイルを目指す歌手に補強…

軸のとり方

私は、日本と西欧(アメリカも含めて欧米としてもよいのですが)の対比から入りましたが、今はワールドミュージックやエスニック音楽(日本も含む)とクラシックの軸で考えることが多くなりました。日本が特殊とみるより、クラシック音楽が特殊とみるほうが…

プログラミング

欧米で私が学ばされたのは、世界のあらゆるものを標準化、プログラム化して、システム的に伝承していこうという考えです。大航海時代、彼らにとっての未開の地を征服していくのに、学者を連れていく。動物や植物を収集、研究して、体系化する。そのために自…

根源的な問い

小泉文夫さんが「外国人が日本の古典、あるいは、伝統芸能を学びにきたら、案外と早く学べるだろう」ということを述べていました。いくつもの流派を、これまでの日本の師匠たちの不文律を超えて横断的に学ぼうとするし、師も外国人だから、わかりやすく説明…

判断の違い

喉の筋肉における運動強度の判断を、私はずっとしてきました。絶対的なことは言えませんが、ややきついくらいがよいトレーニングになるのは確かです。今の状態の改善よりは将来に向けての改革ということです。 表現が豊かなとき、特に、感情表現については、…

マッスルメモリー

長期の絶対量からは、効率的ではなくても、フィジカルやメンタル面で、得たものが多々あったと思っています。自信も、人より時間や情熱をかけたということにしか根拠はおけません。継続していくことの大切さを身に入れました。その上でようやく、今の自分を…

絶対量としてのトレーニング

私がマシントレーニングを好きでないのは、スクワットを100回行うくらいは、階段で100段以上登っていることで行っているからです。それ以上、時間があるなら、山にでもいけばよいでしょう。それに対し、時間や場がないから効率的に行うのが、マシントレーニ…

充実感

トレーニングで、もし自分を根底から変えるようなものがあるなら、それは、軽、弱、楽でなく、重、強、苦です。そこで練り込んだことを忘れた頃にできているものへのアプローチは、それだけ厳しく辛いものなのです。 辛いからといって、そのことがトレーニン…

マスケラ、ベルカントのマスター

マスケラ、ベルカントをマスターしたという人の中でも、日本で合っているといわれている人ほど大した声にもなっていないように思います。技術としてマスターした声が、それ以前のものより表現力に乏しくなっている人も、たくさんいます。単に「楽に高い声を…

トレーナーの死角

トレーナーは、テクニックとして、軽く弱く声をコントロールしてきたことの方向から人に教えます。しかし、自分がそこまでに身につけていた基礎力を忘れている、気づいていない、無視している、もしくは、無駄だったと思って捨ててしまっていることが多々あ…

刺激する

声は声帯で息を音に変換するのだから、体の大きな筋肉の増強のプロセスとは異なります。舞台での肉体芸術ということでは、そこを支える心身に求められる条件は、アスリートたちに近いのです。ですからトレーニングにおいて、いつも与えられている刺激量より…

絶対量の必要性

何事であれ、初期のレベルでは絶対量に時間をかける方が効果的なことが多いものです。 筋力のない女性にプロのピッチャーコーチが投球フォームとコントロールを教えても、キャッチャーミートに届かない、あるいは10球で力尽きてしまうとしたら、どうでしょう…

負荷=器づくり

ヴォイトレを特別なものと思うがあまり、あたりまえのことがわからなくなっている人が少なくありません。毎日、正味30分話している人が、ヴォイトレで15分声を出しても声は鍛えられません。発声法をよくするからといっても、30分間、声を出せない人ならわか…

鍛える=柔軟に働く

私は、自分のブレスヴォイストレーニングを、声を鍛えるトレーニングと、はっきりと位置付けています。筋トレも筋肉を鍛えたらよいというのでなく、目的(競技)に合わせて、応用度が高く柔軟に働くような筋肉にしていくのですから、声も同じです。ボディビ…

段階として考える

正しくなりうる人が使っているうちは、どの方法もどのメニュも、正しくなっていないのです。ただ、トレーナーは、段階に応じて、それなりのOKだしをしています。OKでも、他人への働きかけではNOとなります。だからレッスンもトレーニングも必要なのです。 習…

3つの目的

私は、当初、ヴォイトレを行う自分に、3つのことを声に求めました。 1.外国人が聞いても、専門家や一般の人が聞いても、その道のプロとすぐにわかる声 2.何時間も耐えられる声、心身の不調にまったく影響されない声 3.話すように歌になる声。 それが私にと…

単純の声の絶対化

研究所では、特に単独に声としてみています。声をその人が自らを導びき、その人の正解にしていくのです。その人の好みでなく、その人のもって生まれたものが最大限に出るところにするのです。 歌も演技も声の力に頼れなくなったのに、そこでヴォイトレとして…

人に学ぶ意味

ならば、自分で思うまま、独りよがりでやっていけばよくて、人や他人に学ぶ意味はあるのか、となるでしょう。そこでいうなら、「すべてが正しくなりうる」のであって、「すでに正しい」わけではないのです。 「あなたが絶対に正しく、あなたの全てが正解にな…

絶対に正しくなりうるもの

正しいのか間違っているのかという、二択の対立構図でないことを述べています。それでも正誤にこだわりたいという人は多いのです。次のように考えてみてください。これは、自ら歩んでいく人のためのアドバイスであり、トレーナーや学者や批評家、専門家に言…

本質を観る

私のところは研究所ですから、科学的な態度を尊重しつつ、現実の場で起きることをしっかりとみて、自分や他のトレーナーの身をもって、実際に試しながら伝えています。 最初に研究所をつくったときに、グループとして始めたのは、データをとる必要があったた…

科学の限界

踏まえておくべきことは、科学的であることは、絶対に正しいということや実践に使えることとは、程遠いこともあるということです。後日、新論で否定されてしまう可能性があるからです。 本当に科学的な態度とは、新たな発見でそれまでと異なる論が証明された…

感謝と願い

先を読みたい人、深く本質を読みたい人が、いらしてくださるのはありがたく存じます。その人に恥じないように書いていくつもりです。そうでない人が、ポジティブな考えになれるのなら、とても嬉しく存じます。 情報も知識も方法、ノウハウもメニュも、断片に…

創造すること

情報を、どのように整理し、組み合わせて使うのかを学ぶことです。選ぶとか正誤を判断するというのではなく、自ら創ること、それに役立つものを引き出すと考えます。選ぶのでなく、少しでもヒントになるなら、そこからつくりあげるのです。その努力を惜しん…