21.アーカイブ/研究所史/そのほか
レッスンやトレーナーは、本人が役立てるように活かせばよいものです。同じトレーナー、同じ方法でも、活かせる人もいれば活かせない人もいます。誰もが少しずつ活かせる人や方法もあれば、誰かがあるところでバーンと大きく活かせるのもあります。 私自身が…
私の考え方は最初から変わっていません。「基本講座」「実践講座」に、具体的手段が細かく述べてありますので、参考にしてほしいと思っています。 最初は、私自身が学び、習得してきたプロセスの体系化で、私の考え方と実践が入っています。その後、改訂した…
本は文字ですから、イメージは伝わりにくい、といわれます。でも読んだ人のレベルに応じたイメージがつくられていくといえます。音声があると、声のイメージははっきりとします。それにもよし悪しがあります。 具体化される分、限定されるからです。絵がつく…
本にCDを付け(ビジネスマン、一般対象本では10年後)、ガイド音源も入るようになりました。 動画化は、踏み込みませんでした。 音声だけでみせることにこだわったのは、声=音を学ばせたかったからです。 わかりやすくみえることは、学ぶこととは異なるから…
CDについても多種多様につくってきました。いつも試行錯誤していました。英語の教材からヒントを得たことも多々ありました。 最初は、体や息のトレーニングは、音声にならないので、カットとしていました。 最近は、図やイラスト、あるいはナレーションで指…
CD教材といっても、一回聞いて終わりのものと、くり返して使うものは違います。最初にイントロや説明が長く入っていたら、2回目からは邪魔でしょう。 トレーナーが一方的に見本をみせているのもあります。生徒とかけあってレッスン室のようにしているのもあ…
私がヴォイトレの本を初めて書いて30年経ちました。発声について欧米から学んだ人が書いた本とは異なる、日本人としての本でした。それはそのまま、シンコーミュージックの「基本講座」は理論、「実践講座」はメニュを中心の本として世に出しました。 いくつ…
私は飽きっぽいタイプです。それがよくも悪くも「もっとも厳しい客」としての判断のできる資質になっています。今でも、声や歌を溺愛しているといえません。他によりよく伝わる手段があれば、それを使います。声や歌で邪魔するべきでないと思います。ヴォイ…
プロの歌手をたくさんみているうちに、 世界の基準からみる 一流との比較からみる 同曲異唱からみる 同一歌手の歌のよしあしからみる など、骨董屋か目利きになるためのようなことを、私は歌声で他の人の何十倍してきました。 受講者の1コマ1時間ほど聞くも…
毎日、熱心な生徒がレポートを出して、「この曲で」「このフレーズで」こんなことに気づいたと教えてくれます。それは、教室で終日ゴスペルを歌って踊って説教しているような毎日でした。 私は世界レベルに歌を捉えて、そこから降ろしてきます。そうでないと…
創った作品を聴きたいと思うから人が集まり、聴きたくないと思うと人はいなくなる。私が皆の声(歌)を聴きたいと思ったから、どんどん聴けるようにしていったのです。そういうものがなくなったら場も機会もなくなるのは、あたりまえです。 私もがまん強く、…
このように研究所のことを語るのは、トレーナーに教わるという姿勢から始めたとしても、一人ひとりが自分の声、自分の表現の研究をして、独自に研究所をつくって欲しいからです。 私は、環境と習慣を変えていく、その必要性を、いらっしゃる人に話しています…
ここに至るには、試行錯誤、うまくいかないことの連続でした。常に第一線で、全てをさらしていったからこそ得られたことが大きかったのです。多くの批判や叱責とともに、より多くのすぐれた人との関わりでできていったのです。 今の私ならとてもやれなかった…
私の思う歌手というのは、劇団員のようにはなれないとわかってから、今の体制に舵を切ったのです。そこまではOBや在籍した人にサブトレーナーを任せていました。生え抜きとプロデュースしたトレーナーとは、一長一短です。私は異質な集団でカオス状態にする…
私のレッスンのスタンスは変わりません。はじめは表現よりも基礎を、今は、人により基礎より表現を中心にすることもあります。基礎は、トレーナーがやるからです。この分業体制を無視して、私のレッスンを部分的と思う人もいるので、最近はそういうレッスン…
ですから、本を書き始めたときの私は、自分のこと以外、いや自分のことも含めて何もわからなかったと思うのです。そういう自分に接して学ばせてくれた多くの人に、特にここの関係者には、感謝してもしきれないくらいです。 ですから今、若い人はあたりまえで…
どの世界でも、10年でようやく一通りみえてくるものがあると思います。それが体感でき、ものにするには、もう10年かかります。そこで、私はプロとは20年、短くても15年、できたら25年続いて、最低必要条件を満たすと思ってきました。プロということばは、さ…
私がレッスンとトレーニングに求めたこと 1.長期間にみるということ。 2.多角的にみるということ。 3.飛躍を求めるということ。(つみ重ねから逸脱) 4.頭を疑い、体を信じること。 5.ものごとを二極(正誤、よしあしなど)でみないこと。
私は、世界が日本のようになるのが理想です。しかし、現実には国家単位とその対立で世界が成立しているので、日本人も21世紀前半はナショナリズムに立地せざるをえないと思っています。そのモデルとしての他民族社会の世界、アメリカ合衆国に幻滅し、ユーロ…
私は1980年代までは日本でも個人化(個性化)、表現化が進むと、音楽はアコースティックにオリジナルな表現がより強くなると考えました。現実は逆となり、研究所は1995年に得たライブハウスを2002年に手放しました。 少子化はともかく、若年層の保守化、メン…
私は早くからビジネスマン相手にヴォイストレーニングを行っていました。しかし、日本のビジネス界で、本当に相手を論破できる声が必要なのかは疑問でした。声をパワフルに使えているのがよいというのはオーナーや一匹狼のセールスマンくらいではないでしょ…
昭和のころまでは、歌も世界を目指し、欧米とも張り合おうとしていました。二番煎じに甘んじつつも日本人のオリジナリティ対して、探求もされました。ただ、結果からみると、声でなく作曲、アレンジ、演奏、ステージ技術での発展が顕著でした。 世界的にもビ…
「欧米には、世界の人が憧れるすごい文化がある。同じことを日本人がまねてくれたら、向こうに行かなくても見たり聞いたりできる―。」 歌唱、演劇に限らず、多くの分野でこうして模倣が生じたのです。宝塚歌劇団、劇団四季も、ステージ側、観客ともその構造…
オペラは、世界の観客を熱狂させた、一部の天才の能力にのっかってきたのも事実です。200年も前の、遠く離れた国で権勢を誇っていたものが何一つ疑問を持たせず東洋の島国、日本で伝承され、保持され、存在していることを否定するつもりはありません。ラテン…
日本人における「二重構造」は、今もクラシックもポップスも音楽業界に根強くあります。欧米人と同じ教育を受けることを最上とし、欧米人の感覚で評価してきた流れのことです。ロックやへヴィメタルなど、洋楽しか聞かず、洋楽しかやっていない人にも多いで…
他の人と合わせるための耳の力、発声の力を最低限の音楽的基礎力としてつけます。 周りと比較しやすいと自分のことが分かるのでヴォイトレにくるのです。周りと比較するというのは、日本人の場合、周りが皆似ているために、それに合わせようとしてしまいがち…
芸に関わらず専門分野の一般化は、メンタルやフィジカルで選抜されていた優等生ばかりだったところに、そうでない人が入ってくることに伴い、様々な問題となって現れてきます。専門家の方法が通用しにくくなり、混乱してきます。目標と必要性、意欲について…
メンタルの問題、心療内科や精神科医につながるようなことについて、フォローすることが増えました。何人かのトレーナーにも基礎的なことを学んでもらいました。私が大学性の頃に学んだことや音楽療法などで知ったことも役立っています。 そういえば、私が学…
桜が舞い花吹雪が水面を埋め、桜色の流れゆくのにも心打たれる。これも自然の表現です。 私が枝を揺らすと、パッと桜が散ります。それを見て、小学生たちが並木を次から次と幹を両手で揺らしていきます。あまり、桜は散りません。 “そんな唄をたくさん聞いて…
大正から昭和にかけ、日本には大人の文化があり、大人っぽく、わからないものに憧れました。そういうものが挫折しました。“かわいい”でくくられるロリータ文化は、アニメ、漫画、ゲームと、世界に発信できるクールジャパン、日本文化となりました。私たちは…