夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

23.一般的なヴォイトレ/スクール/トレーナー/レッスン

基礎の方法論☆

方法は、可能性を広げたり深める手段です。 しかし、その方法に頼ることでズレてしまうこともあります。それによって、逆に、見落としたり効果を損ねたりすることもあるのです。 基礎力の強化の方法は、あいまいでわかりにくくてもよいのです。 最初の効果に…

不安に寄りそわない

若いトレーナーをみると、素人の不安に、どうにもならない的外れな対処をして時間をとられていることが多いです。そうしても、次の対応にうまくつながらず、挫折するか、開き直って単なる批判者となりがちです。

評価の違い

日本では、熱心にやって、「トレーナーも喉を痛めた」とか、「何時間もつきあった」とかいうことで評価されやすかったりするのです。 親密さやサービスを価値ととり違えてしまうことがとても多いのです。

同化しないこと

よく勘違いされるのですが、トレース(まね)するとは、相手に同化すればよいのではありません。同じように喉に悪い未熟な使い方をして痛めては、もはやトレーナーとはいえないでしょう。未熟なトレーナー、若いトレーナーは、そうしたことを起こしがちです。

虎の威に借られる

「私は、あの歌手を知っている」と言っても、その歌手本人ではないのです。まして、偉いトレーナーを知っていても、そのトレーナーの実績とは関係ありません。そのトレーナーとともに偉大な歌手を育てたわけでもないのです。 それを鵜呑みにするのはどうなの…

検証

自分自身が成果を出した方法での実績を元にとるなら、少なくとも、同じ条件下で他の人に同じ効果を出すことの検証が必要です。 日本では、多くの先生やトレーナーは、いつまでも、その人自身が一番すぐれていて、本人を追い越す人材を出していないのです。な…

本人あってこそ

相手を見ずに、「ともかくもこうしろ」というのは、よくないのです。 となると、本やネットで教えられることではありません。 そんなことをうのみにはしてはなりません。

実際の見立て

やる気が起きずにだるいようなときは、誰にでもあります。それで何かの病名か当たったところで何にもなりません。よほどひどくなければ、安易に薬を飲む方が怖いでしょう。 優秀な医者なら、一目で、とまでは言わないまでも、その程度がわかるはずです。 ネ…

ネットのヴォイトレ

ネットのヴォイトレでよくない方向に行くとしても、私はネットが悪いとも、そこに出ているトレーナーがよくないとも言いません。私も本を出してきたので、よくわかるのです。 本も同じようなところがあります。 しかし、ネットは映像で、さらに具体的でわか…

問うキャリアのない先生

質問に答えてばかりいると、受け身になって、質問力をつける機会を失います。 すぐれた人ほど、そういうことが多いものです。医者、学者、○○士などは、他の人に聞かれは同じことを答えている人たちです。 忙しくて時間がないので、会話を続けたり相談をした…

捨てる、程度の問題☆

巷にあふれる情報や方法で翻弄されている人が少なくありません。ネットなどでは、占いと同じで、誘い込むための仕組みが使われています。 昔は、情報の集め方を教えていたのに、今や、逆に、整理して情報を捨てさせなくてはいけないほどです。 メンタルの病…

うまくいく人だけではない

怒鳴ったりして精神的にプレッシャーをかけて、人の才能を伸ばしていた人は、火事場のバカ力が出ることもあることを期待してだったのでしょう。今ではパワハラに問われかねません。 でも、これはけっこう高い確率でうまくいったのです。 ただ、うまくいく人…

懲りて学ぶ

本人が懲りて覚える方が、後々のことを考えると、よいのかもしれません。昔は、そうして覚えたので、大体、間違っているうちに鍛えられました。 こういう言い方では、今は問題視されます。昔とは、環境も育ちも違うからです。 スポーツでは、昔よりもはるか…

まねる伝授法☆☆

昔は、プロである師のいる場でしか、学ぶ材料も世に問う場もなかったので、師につきました。師に近いことのできることが、客に認められ、プロになる唯一のプロセスでした。 そこでの客とは、師の客、関係者だったのですから、そっくりまねるのを目的にするの…

へたに習わないメリット

発声は、一人で歌っているだけなら、決してややこしく複雑におかしくはならないものです。大体は、一方向へシンプルに偏っていきます。この方が、まだ、方向修正も指導もしやすいので、トレーナーは、そうした初心者を好むのです。

障害をつくる☆

声の障害をわざわざトレーナーとつくっていらっしゃるのでは、と思われる人も多くなりました。変なテクニックを教わって、発声が複雑になっていくのです。 こうした障害をくせとも言います。

レッスンと選択能力

情報を集めるというのは、それによって様々な選択肢を探すことです。次には、どれかを選ぶのです。 でも、「適切に選ぶために、その能力をつける」となれば、そのヒントを与え続けるのが、レッスンでしょう。

流れを切る

出会いを妨げてしまうクローズな場、仲間意識、師弟関係こそ、ある面では、表現者にとって、もっともリスクのあることです。 そこに甘んじるくらいなら、その程度の能力、気づき、学びであり、そのくらいのレッスンやトレーニングです。 それはそれで充分、…

クローズでのレッスン

およそは、最初にトレーナーの思う路線が引かれ、そのトレーナーの価値判断に基づいて声が慣らされて出てきます。これは、まねの上達法と同じです。 まねをさせると、即効で、伸びることも珍しくありません。 早ければ、数日、遅くても1、2年で、かなり鈍く…

先生との違い

形だけを写そうと無理していると、負担になるし壊すこともあります。 どこかに必ず偏りが出てくるのに用心することです。 先生をまねしても、まねができるほど、先生と自分の体や個性は同じではありません。 その違いが妨げとなります。 先生には正しくても…

形からの学び

形だけのレッスンやトレーニングが多いのは、いつの時代もどんな分野でも同じです。特に、日本では、多くの分野で、形から入ることから始まります。そのあくなきくり返しで自ずと中身が伴うことが上達法でした。 しかし、それには年中無休で師と生活を共にす…

まねることの弊害

まねて学ぶのは早い方法ですが、まねるというのは形ですから、いかに形を早く器用にまねられるかが問われます。周りもそれを求め、認めるからです。まねのうまい人ほど、形だけになって終わってしまいがちです。

盗むということ

先生から口移しで一挙一動を学ぶより、教えられずとも盗む方が、時間がかかっても中身を伴わせられるのです。これもまた一つの上達法です。 何をみているのか、気づけるのかということです。問われるのは、形でなく中身だからです。

ヴォイトレのスタンス

発声、歌唱、せりふ、あるいは、声に関わる職につくには、ヴォイトレが必修と考えること自体、おかしいのです。 何しろ、ヴォイトレの定義とか枠自体、ありません。 声のトレーニングとしか言っていないのですから。 多くは、誰かが勝手に選択された枠で考え…

ヴォイトレの不毛

どんなスポーツでも、最初は、そのための特別のトレーニングはなかったのです。 しかし、どんな分野でもレベルが上がると、それを支えるトレーニングが確立してきます。 以前よりもレベルアップして、トレーニングなしでは、そのレベルについていけなくなる…

エビデンスの無力さ

最近は、エビデンスにこだわって説得力をもたせようとするものが多いです。 読む人がエビデンスで説得されたくて買うからです。 その分、中途半端におかしなものになって、役立たなくなっているのです。 特に、「科学的」というのは、この分野では、何ら実証…

レベルとヴォイトレ

ファストフード店のあいさつの滑舌練習のように、すぐ身につく、発音はクリアに声は明るく感じよくなる、しかし、別に声も呼吸も元と変わらないし、その声で歌っても合唱団レベルにもならないようなことが、ヴォイトレの主流になってきたのでしょう。 現代人…

急ぐと制限される

ヴォイトレの多くは、「早く楽に、誰でも、少し上達して効果が実感できる」ことを目的にしているために、そこから先のプロセスがありません。 それがゴールで、その後、伸びないのです。 はっきり言うと、可能性を制限しているマニュアルとかレッスンといえ…

その先へ

学ぶことに限界はありません。 アートはクリエイティブです。 そこから離れたレッスン、そこに至らないレッスンは、義務教育と同じで、プロセスや完了があります。それゆえ、そこまでです。 ヴォイトレもまた、プログラムやカリキュラム化しつつありますが、…

マニュアル化されたレッスン

「誰でも」「すぐ」「簡単に(楽に)」できます、というのに、引き寄せられるのなら、そのくらいのものしか欲していないのです。そこに対して、私は、否定してはいません。研究所でも、けっこうな需要があるからです。 そのくらいから始めた人でも、10人に何人…