本当に人の心に働く声は、あなたの内面からしか変わりません。外面から変えるマニュアルや方法は、ただのきっかけか、一時しのぎにすぎません。もちろん、それも使いようによっては有効です。技術やスキルともなります。
すぐれたアートが出てくるには、あなたの中にすぐれたアートが宿ること、あなたにアーティストがくれたものが、あなた自身とのコラボレーションによって、次代のアートがあなたに引き出されてくる、そこにしか真の可能性はないのです。
昔から、私が述べてきたことがあります。「ヴォイストレーニングだけを考えると、おかしくなる。ハードにやるとのどを壊す。しかし、ハードにやらなくては身につかない。壊れないためには、音楽を入れておき、ギリギリでリスクを回避できるようにしておくこと。」
これはトレーニングだからです。できたら、10年以上時間をかけて、ハードにやらずに身につけば、もっとよいのです。
声はやるべきことの10分の1に過ぎない。しかし、確かな10分の1は大きい力となる。ということで、
今も同じことを伝えているつもりです。
科学(音響学)、医学(生理学)的な分析や客観的事実の限界は、そのことが真理であっても、人間が感じられたり、心を動かすものにならないということです。たとえば、声の強さは、声量(と人が感じるもの)と違います。
ピアノのダイナミックな表現も、腕力の強さや音の大きさでなく、タッチのメリハリ、速さ、鋭さ、ドライブ感から人の心に訴えかけるのです。
案外と、声のヒントは、現実社会の人間の間に落ちているのです。
正しい発声法で歌えば、人に伝わるのではありません。テノール、ソプラノ、あるいはアナウンサーの発声が正しい発声の見本でしょうか。
発声は、きっかけに過ぎないのです。心の表現が、発声を高度なところまで、そして完成を求めるのです。そこにヴォイストレーニングが必要なのです。そして、この入り口には、出口が必要なのです。