素質ある人でさえ、才能が発揮されぬまま、本人はやれるつもり、やれているつもり、やっているつもりになってしまうのです。本質がみえなくなっていくなら、何のための勉強でしょうか。
これは、逆手にとれば、学校やサークル運営の秘訣なのでしょう。どこでも、来る人たちに任せると自らそうしてしまうものです。ちょっと長くいたら、物知り、うんちく通(いわゆる茶坊主)になります。世に出て行けず、そこで偉ぶるためにいるようになりがちなのです。トレーナーは、それを防ぎ、本人たちの見えぬ先を感じさせて導くべき存在と思います。