日本では英語で歌えれば、英語の発音が正しければOKという形での評価が、幅を効かし、表現が忘れられてしまうのです。
日本の歌でも似ています。合唱、ニューミュージック、J-POPS、演歌、邦楽はなぜ、時代を超え、日本を超え、世界のスタンダードにならなかったのでしょうか。エスニックだからではありません。エスニックでも世界に出ているのは、たくさんあります。声としての表現力としての歌、つまり歌唱力でかなわなかったからです。これは、分野としてではありません。演じる人、歌う人、その個人の音声での表現力においてです。
どこでも、一人の天才とそれに続くハイレベルな集団が出て、そのジャンルをつくり、ジャンルを超え、スタンダードに芸を成立させていくのです。歌謡曲や演歌のすぐれていたことは認めますが、デビューのあとによくならないのが、日本の特徴です。聴衆が声の世界に寛容すぎるのです。