声の改革というのなら、あらゆるごまかしや不鮮明なところを白日にさらし、一時、バランスを崩してでも、問題点を顕わにすることです。そして解決のための課題を鮮明にしていくことです。
そこに声以外にも、アーティストのオリジナリティや表現とも絡むことなので、すぐにわからないこともあります。ときにプロのアーティストのイメージに、その声や体がそぐわないときは、アーティストと考え方が相反することさえあります。
しかし、作品としてのイメージと体(のどの器質)からの可能性は、限界をも知って行うべきでなのに、音響技術でカバー(あるいは、ごまかす)すればよいということにはなりません。アレンジやリバーヴの効果に頼るから、将来の可能性まで損なわれるのです。