現実的な問題として、性差やパートの違い(テノール、ソプラノなど)をどう考えるのかです。学ぶのに先生の得意なものを選ぼうとするのは、当たり前です。しかし、そうでないものやそうでないときは学べないのかということはありません。
人情噺は得意でない師匠なら、それが得意な師匠から学ぶ。ピッチャーならキャッチャーである監督でなく、ピッチングコーチから学ぶ。というのは、もっともわかりやすい例えです。しかし、声については何とも答えにくいです。
似ているほど早くまねしやすいが、大体は、くせやまねるとまずいところからうつるもので、学んだあとにそれを取らなくてはいけないことが多いのです。そこに気づける人はほとんどいないのです。その師匠がもっとも教えられないことだからです。
似ていないと、まねもしにくいし、学びにくいかもしれないが、もし学べたら表面的なまねでなく、本質的な基礎が入りやすいということです。