まねでなく、もっともその人らしい、オリジナルな声のオリジナルな歌い方の上に、その人のオリジナルな世界が出てくる、それは完成度において誰がまねしても追随できないというのが、理想です。
世界では、オリジナルの基礎の上に成立したオリジナルの表現しか認められません。まねは誰でもできるからです。
しかし、日本ではまねるのに高い声やシャウトに不自由するので、そこが中心になります。
向こうの文化をもろに受け入れて、向こうに似ていることがかっこよいというのが、日本人です。
受け入れてきたものを省みずに、歌をつくってきました。二重の意味でオリジナルな体の声のオリジナルな作品がわかりにくくなっているのです。