私は、すべてにおいてオリジナリティを尊重する立場にいるつもりです。すぐれたアーティストの声や歌い方は、応用されたプレーで、ファインプレーの連続みたいなものです。もしそれをレッスンやトレーニングでアプローチしようとしたら、フィジカル、メンタル、発声の基礎から、自らの感覚や体を変えて可能性を大きくしていくことが何であれ、大前提であるということです。
もし、こうすればその歌い方がマスターできるというような先生がいたら、それはかなり表面的なまねであり、私がさけたいのは、ただ一つ、それをもって目的とするような安易さです。どんな歌い方であれ、ヴォイトレでなく、そのアーティストの育ちや作品への飽くなき追求、努力の結果に形づくられてきたもので、おいそれとできるかできないかで問えるものではありません。