方法や理論は効果を出すために使うものです。それによって効果が出ないとか、逆効果になるなら捨てたらよいといっています。私の理論や方法への反駁もときに受けますが、合わないならやめたらよいのです。もっとよく自分の目的にかなうものがあれば、そうすればよいといっています。ただ、その判断をできるだけの自分なのか、あるいは第三者でも、何年も先の判断のできる実績や経験のある人なのかくらいは見極めておくことです。
トレーニングもレッスンも、自分がよくなるために使うのです。そのよいところをとればよいのです。悪いところばかりをとるのはおかしなことです。
トレーナーや方法に対しても同じ考えです。悪いところしかとれないなら、トレーニングにならないからやめることです。
トレーナーやアーティストをまねするのは、そういう意味で気をつけなくてはなりません。多くのケースでは、悪いところしかとれない人が多いからです。よいところはとれないものです。
頭で考える人は大体、こうなります。それでも頭で考えざるをえないタイプだとわかれば、頭を切るために、自己肯定の理論づけをするのでなく(そんなことはトレーナーに任せて)、学べるものから学ぶという実質本位へ踏み込むことです。
私が一つの方法を押し付けないのは、万人に共通の方法ほど、こと声や歌の分野において、毒にも薬にもならないものはないということを知っているからです。声は、日常のなかで使っているからです。よい薬ほど強い毒です。うまく取り扱わなくてはなりません。
多くのヴォイトレ経験者は、心身面でのリラックスという、プラシーボ効果だけでヴォイトレを使っているとさえいえます。それでも私はよいと思うのです。何事も必要度に応じてしか身につきません。