天才の俯瞰的な物の見方と、秀才の俯瞰的な積み重ねの二方向からのアプローチが必要です。
どんなに毎日トレーニングしていても、それが日常、あたりまえとなると次のレベルが求められます。常に非日常を日常化して、そこに非日常をセットする取り組みが求められるのです。私は、これを「状態づくりから条件づくりへ」、つまり、今の状態のベターを取り出すことは、将来のベストを求めることの前提としています。しかし、必ずしもつながっていないこともがあるのです。
それをくい止めるために、頭が空っぽにするのが必要と考えてください。
私は今、一番出しやすい声からアプローチさせますが、その声イコール将来の目指すべき声そのものではありません。もしかするとその基礎も当たらないということもあります。これは、どこかで考えておくべきなのです。
今その人の一番出しやすい声よりも、トレーナーは、自分の理想の声そのものや自分の発声、あるいは、その人の理想と思い込んだ声を押しつけやすいのです。トレーナーというのは、この点で危険な存在ともいえます。
稽古やトレーニングが理不尽、修羅場であることで、自らを捨てて、つかんだり、「破」や「離」ができるきっかけになるのなら、結果として、よいことです。これは、その人の資質によるので、人をよくみて、対処するとしかいいようがありません。