研究所は代々木という土地柄もあって、声優、ナレーター、俳優、タレントの対応が増えました。ミュージカル俳優になりたい人も増え、J-POPSの志向が強まったので、外国人やポピュラーのトレーナーを使いました。そして、基礎の必要性を改めて認識して、体制を一新しました。声楽家をトレーナーとして声のベース(息、呼吸、共鳴)づくりを主体としたわけです。
自前のライブハウスを引き上げ、個人レッスンにしたため、プロやプロデューサーと接する機会が増えました。歌の仕上げの後、プロデュースを依頼しました。ジャズやシャンソン、ラテンのシンガーも増えました。専門の先生についた人の基礎を引き受けることが増えました。トレーニングもコラボレーションが中心となったのです。
研究所で、私は、2000年からメンタル面(精神科医、心療内科の方向)、その後はフィジカル面(インナーマッスル、整体、マッサージ、他)の研究を重視せざるをえなくなりました。スタジオにも音声の医療や人体模型や解剖図、センサーや声の分析の機材などがおかれ、研究者との繋がりが増え、研究所らしくなりました。2010年までには、それまでのビジネス、執筆や講演を抑え、研究に専念できる体制になったのです。