夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

理想の一声☆

最近、ある役者さんと邦楽家の席に招かれ、お話したことを取り上げてみます。私のヴォイトレにおける立場や考えに通じることです。

 「ヴォイトレは、声楽とどう違うのか」ということから、始まったのですが、声楽の定義は、これも人それぞれですから、ここでは触れません。音楽之友社の、「読むだけで、声と歌が見違えるほどよくなる本」)に詳しく述べてあります。

 ヴォイストレーニングという定義についても同じです。私がヴォイストレーニングで示そうとしたものは、声の発された一瞬を、理想として通用するレベルに高めようというものでした。一言で言うと、まさに「一声」、これだけで声の真価を示そうということです。

 そんなことができるのかという人は、そういう声を聞いたことがないか考えてみてください。ことばとして意味をもつ以前の声の力です。声=ひびき=歌ともいえますが、歌のような形式が定まっていないものを考えているのです。

 一瞬にできないもの、示せない声は、歌にも使えないというのが、当初の私の見解でした。

実際には、一声、一フレーズも、一瞬も、もたなくても、セリフや歌はもちます。プロはそこだけで見せているのではないからです。

 その「一声」といっても個人差があります。私は誰にも共通の一声(見本として、特定のプロや、あるいは私自身の声を元にする)を目標にさせるつもりはありません。そのために、理想の発声原理として「体―息―声の結びつき」と、「声そのもの」を見ていました。その人にはその人なりの発声があり、バランスがあるということです。

 そこにトレーニングということが入ると、このバランスと部分強化ということでの優先順位や価値観が生じ、いろいろと複雑になるのです。さしあたって考えるべきことは、次のようなことです。

1.その人にとっての「理想の声」というのはどういうものか、それは一般的な「理想の声」とどう異なるのか

2.それは、どういう状態や条件に支えられているのか

3.条件に対して、補ったり、強化したり、新たに獲得する必要範囲とは何か

4.表現における必要性からみた状態と条件について、どう考えるか

 

 この前提として、声を鍛える、磨く、それは声を変えることの可能性や限界への追究です。声の音色そのものの変化と言えましょう。それについては、ほとんど何も明かされてきていないのです。