勘違いされやすいのは、体の声とか深い声といいつつ、喉を使い、押しつぶした声です。独力での自主トレでは、ほとんどの人が間違えてしまいます。憧れの人の声から、ハスキーを見本ととらえてしまう人にも多いです。
とはいえ、これを安易に今のトレーナーは否定しますが、プロセスとしてはすべてがすべて、だめなのではありません。役者(悪役の人に多い)やハスキーな声のポップス歌手には、そういうプロセスのままの声も少なくないのです。ただトレーンングの中心にはお勧めできないということです。
声の調子が少々悪くなったくらいで、喉を潰してもいないのに、大騒ぎするようになったのは、ここ20年くらいのことでしょうか。ヴォイストレーナーがたくさん現れた時期です。歌い手のレベルも下がってしまいました(これはトレーナーのせいでなく、歌い手の安易な目標にトレーナーが応じた、いやそれしか知らないためです。短期でみるのと、長期で育てることの違いがわかっていないのです)。
とはいえ、これを促したのは、求められる歌の変化が大きかったのです。それと昔のように荒っぽい、大声練習では、通用しない人が多くなったことです。
もとより大声とレーニングは効率が悪いのですから、効率をよくするトレーニングはよいことです。しかし効率のよい発声が、可能性を大きくする声の出し方なのかというと、そうではありません。
声の弱い人と強い人がいます。この弱者がヴォイトレの対象になったために、トレーニング全体が、ヤワな方向へ行ったのは否めません。トレーナーについても同じです。タフな声のトレーナーは、本当にいなくなりました。弱い声の人が、弱い声は強くならないと、トレーナーに見切られてきたともいえましょう。
そういうことが思い当たらないという人は、昔の、声と感覚だけで勝負できていた頃の、歌手や役者の声を聞いてみてください。世界の声、そして浪曲から民謡、詩吟の名人の声を聞いてみてください。耳から目が覚めるのではと思います。
J-POPS用の声があるのではありません。いろんな声があり、いろんな歌い方があるのです。