沈黙でも伝わるだけのものがあります。だから声を出したとき、輝くのです。
まずは、声そのものを輝かせていく、それを結果として、手に入れていくのはレッスンです。どこの国にも民族にもある魅力的な声は、かつて日本にも満ち溢れていました。このところ、急速に失われているように感じます。
ヴォイトレが普及したのはよいことです。声は努力次第で、誰でも向上できるツールです。声を出したり、使ったりするのが苦手な日本人が多くなっていくので、その価値は高まっていきます。
日本人は、他国に対する劣等感を、辛抱強く努力して、克服してきた民族です。それが一人前の大人としての、一個人としての表現の力として獲得するのでなく、カラオケや、初音ミクのような、ブレイクスルー(ハイテク化)で超えていくだけではならないと思います。そういう発展の方向があるのはよいのですが、そこが中心であるのはよくないと思うのです。
声は、人と人が触れ合っていくというところに生まれてきたものです。直接的なスキンシップでなく、空気を振動させて相手と触れあいます。それは命の架け橋にもなります。大震災でも、電話一本の会話が欠けがいのないものになりました。
声力で劣る日本ゆえに、こういった研鑽、努力を重ねて、いつか世界に冠たる声力を、多くの人が手に入れることを信じたいと思います。