私は、ヴォイストレーニングに、プロレベル、そして生涯、長期に使えるということを想定しています。どのトレーナーについているとか、研究所にいるとか、いないなどと関係ありません。
研究所をやめても、多数の人が会報を購読しています。レッスンに戻ってくることもあります。そういう例は他にはあまりないでしょう。声の研究誌を月刊で出しているところは、世界にもありません。
研究所ですから、自分の研究をするのです。私もトレーナーも、レッスンにいらしている人も研究です。
作家の渡部淳一さんが以前、「歌手は、覚えた曲を歌っているから楽だ。小説家は…」みたいなことを述べられていました。仕上げたら、またゼロから筋を考える作家は、大変だと思います。そして日本の歌手の多くは、彼らからそう思われても仕方ないほど、クリエイティブでないのも確かと思いました。
プロでもデビューあたりまであったインパクトや声量が、昔なら7、8年、今や2、3年も経たないうちに、なくなるのです。無難に安定して、テクニックに頼った、危なげない歌唱になっていくのです。その結果、歌は、いや歌手の歌は市民権を失いつつあります。私たちの生活に必要なものから、離れていきます。そこに今の歌の凋落がある―とまでは言いませんが…。そういうステージを許す日本の客、プロは、ステージでは鋭いから、客に応じているとするなら、そういうステージを期待する日本の客というのがあるわけです。プロデューサーからトレーナーまで一色汰で、まさに日本らしいのです。
私は、そうでなく、もっとも個の感覚や息にのっていく声、その表現を作り出す、場を提供してきました。しかし、多くの人が求めるのは、目先のテクニックや調整なのです。