しぜんな発声は、オペラでは、パバロッティのような人でないと100パーセントは実現できない。としたら作品ありき、人はいないとなるわけです。それでは、そういう人の魅力に支えられている本場にかなうことはありません。
発声、歌唱、ヴォイトレに、このような精神構造が共通しているようにみえるからです。
技術ではトップクラスの日本のプレイヤー(バイオリニストなど)が「自分の思うように弾きなさいと言われると何もできない」というのは一昔前よく聞いた話でした。
先生の教えた通りやるのが正解と信じていく。楽器はそれでもまねできることに大きなアドバンテージがあるので、日本の子供は優秀になります。工業大国、家内手工業で強い日本の伝統のようなものです。
大学と家との往復の毎日から、ドラマチックな、というか、ぐだぐだの愛の物語などが演じられるものでしょうか。それこそしぜんではありません。特に日本の場合は、プリマドンナより男性に、大変ですが、がんばってもらいたいものです。女性は、外国ではもてるので、いろんな経験を積めるチャンスがあります。
教師役は、比較的うまいように思うのは皮肉なことです。しぜんに、芸にその人が現れるものです。
日本人の場合は、勉強にがんばるよりも、それを壊すことにがんばることが大変です。