発したらそのまま、表現に使える声というのは、理想的です。その根底にある本来の声の力にもっともこだわっているのが、私のレッスンです。
ことばも歌もつかない声そのものの表現力、絵でいうとデッサンの線や色でなく、一本の線だけ、一色の色だけをみます。そこまでシンプルにするのは、ここでしか行われていないと思います。
一声だけのレッスンです。「ハイ」や「ヴォーカリーズ(母音)」「スケール」(ロングトーン、レガート)「ハミング」さえ、応用練習と位置づけています。
歌では、その人の本当の声から離れていくことが、日本人の場合、一般的です。人のまねから入り、そこで留まるからです。
無理なレベルのまね(外国人のヴォーカリストなど高度すぎるもののまね)か、逆に身近かな、あまりしっかりしていない日本人のヴォーカルのまねから入ることが大半です。入るのはよいのですが、それを目標とするので、そこから抜け出せません。「うまい人のまねをして、うまくなった」で終わってしまうのです。