私はかつて、研究生の出してくるレポートに、論を返していました。私のスタンスをもって否定してくる人にも対峙してきたのです。そこで時間をかけて答える姿勢を保ち続けることが私の生きることの一部でした。
ところが、対し方を伝えたいのに、その論の正誤ばかりにこだわる人が多くなりました。
今も意見や感想はそのままに掲載しています。あえて、反論はしません。そうしたいと思わせないものは、そうします。論破する後味の悪さで、私も、日本人らしく大人になったのかもしれません。
「相手のことを理解できるというのは幻想」です。どうしても無理なことで、「それを知った上で理解する努力を諦めない」ようにするものでしょう。まして、それがことばのやり取りでできると考えられると、ことばを放棄しないとと思うわけです。