「表現というものは、ジャンルを超える」、その最たるものが神懸かり的なもの、ファインプレー、あるいは、「ゾーンの状態」です。一方で、「基礎というのは、ジャンルを超える」のです。心身の力を欠いたアスリートもアーティストも、一流の仕事人もいません。フィジカルは、体力と柔軟、誰でも続けたら鍛えられていきます。それが限界を感じたら、その分、心、精神、魂といったメンタルの力で支えます。
私のヴォイトレは、表現と基礎の2極に近いところで行うのを理想としています。多くのヴォイトレは、この真ん中くらいの中ぶらりんなところでやっているように思います。表現でも基礎でもないところです。
表現だけど基礎がないとか、基礎だけで表現がないケースもあります。本人がそれを知り、他で補っていればよいのですが、どうでしょう。このあたりはスポーツの練習を総合から部分、本番から体力づくりで分けたことに通じます。