プロと一般の人との運動能力の差で例えます。試合に出なくてもバッターなら素振り、ピッチャーなら投球、サッカーならシュートをみます。そこでうまくてもプロになれない人もたくさんいますが、プロでない人はわかります。体をみれば、体の動きや筋力の著しい違いがあるからです。なのに、声については、こういう必要条件を誰も定めていないように思えてなりません。
そういう必要条件をヴォイトレでみるのなら、声のトレーニングですから、声そのものの力とすればよいことです。
しかし、声の力がなくとも、プロの歌手や俳優、タレントとなれる人もいるので、スポーツのように絶対必要条件とはなりません。
トレーニングではそれをみなくては、あまりにいい加減です。それならば、声楽家や邦楽家のプロと思われる声でみればよいというのが、私の考えです。マイクのない世界で、声の力でみるのです。オペラの歌唱、長唄などの応用力でみるのではなく、声を支える能力、呼吸―体(感覚―心)でみるということです。
レッスンで「歌をうまくする」のと、「プロにする」のと「声をよくする」のは違います。ヴォイトレというのなら、レッスンは「トレーニングもしていない声(これからの声)」を「トレーニングした声(とわかる声)」にするのがシンプルなことではないでしょうか。