ゾーンとか言われるところ、いわゆるエクスタシー状態、つまり、マラソンハイのようなものです。密教の密儀です。一流の選手だけでなくても、誰でも努力しだいで到達できると信じたいものですが、頭でなく身体の能力で行くところです。
天才、才能、素質などとなると、トレーニングが成り立たなくなります。「才能論」は引っ込めて、ということです。才能と勘違いされるものの多くは、器用さにすぎません。早熟にすぎないこともあります。
私が100かけて、やっとできたことを、20くらいやって、すぐにできる人がいます。100とは年月でも量でも努力でもいいでしょう。人よりたくさんやればできるというものは、遅くなったり、手間ヒマがかかっても、いつかは時間をかけて追いつけるでしょう。
プロは、20やって同じことができた器用な人が多いので、私と同じくらいに100やったらどこまでできるかということを楽しみにしています。必ずしも私の5倍、ものにはなりません。私が、200やっていくのに、その人は100どころか50さえやっていけないかもしれません。
早く短い期間でできるのは、器用、早熟、要領のよさという才能です。それは才能の一つの要素に過ぎません。人生は限られているので、遅く時間がかかると、早熟な人の円熟期のレベルにも、なかなか到達できないものです。スポーツでは、器用貧乏といっても20代後半くらいには、芽が出ないと、体力的な限界から難しい挑戦になってしまうでしょう。芸事は、その点では恵まれているのです。