「どうして、こうしなくてはいけないのですか」という問いは、以前はさほどありませんでした。今や何事についても、その理由や結果を前もって知ることを求める人、それを知らなくては行動に移せない人、続けられない人が増えました。
研究所は、本の読者から関わる人が多かったので、理屈先行タイプが多いのは確かです。それでも、かつては「聞くのは失礼」とか「聞いて答えてもらったところで何にもならない」という思いや直観があったのでしょう。いい具合に、聞くべきときに聞かれたように思います。
実際には、そう簡単には答えられないこともあります。答えようとすれば、教科書的な答えとして、です。私は、そういうとき、答えないことが多いです。何でも答えてしまうことは、よくないことです。今はよくても後ではよくないことと、今はよくなくても後でよくなることのどちらを取るかならば、私は、後者を取ります。そういう人が少なくなったのです。
正直なところ、「こうしなくてもいけないことはないのですから、こうしなくてもよいですよ」「なら、好きなようにやりなさい」でもよいのです。でも、それではアドバイスされた人が困るでしょう。「その理由は、私もこうしてやって、できたからです」と言わなくてはいけないのなら、信頼関係もないでしょう。
一つひとつを疑われては説明を要するなら、レッスンの多く時間が失われます。それによって、もっと得られるものがあればよいのですが、失われることが多いと思います。それが安心感になるというのなら、もっとよくないことでしょう。