私のところは研究所ですから、科学的な態度を尊重しつつ、現実の場で起きることをしっかりとみて、自分や他のトレーナーの身をもって、実際に試しながら伝えています。
最初に研究所をつくったときに、グループとして始めたのは、データをとる必要があったためです。そこで研鑽したこと、学んだことから、個々の可能性を踏まえる個人レッスンにしました。大人数をほぼ同じ条件下で相互に比較することで個人レッスンではわからないことがたくさん得られたのです。
科学的ということによって、害をなすことに気をつけることです。よくあるのは、新しい科学的なデータをいくつか示して、そうでない他の方法を肯定させるように使うことです。
21世紀にもなって、「科学的」ということばに、あまりにも弱い人が多すぎると思います。トレーナーも医者も学者も、「科学的」の前に、常識的に間違ったもの、おかしなものまで、そのまま信じてしまう人があまりに多すぎるのです。経験のなさが大きな原因です。
一つの原因は、ことばを使うことを学んでいないからです。知識、理論は、変わるのです。だからこそ、自分の頭も変わるのです。考えも話も変わっていきます。それゆえ、声もですが、身についたもので信用することの価値があるのです。翻弄されないためには、もっと深く人間の芸、芸術、宗教、哲学を学ばなくてはいけないと思います。