夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

アーティストの凋落

「客がどうこうだから廃れた」というようなことは、アーティストや創り手側は口にしてはいけないことです。アーティストというものを人が欲しなくなったら、どうなるのでしょうか。そんな日がくるのでしょうか、と言っている人は平和呆けです。スターも絶滅危険種なのです。私は、そういうところまで押しつめたところで関心をもつのです。

 ステージと客席、創り手と受け手が分離しないのが特徴になってきます。生産者と消費者でいうなら、消費者は、自ら欲するものを自ら作るようになったのです。

 歌については、日本に洋楽は入ってこなくなった、海外でも世界的なヒットを連発するようなものでなくなりました。20世紀の盛り上がりが特殊であったとなりそうです。ポップスで大ヒットした作品のいくつかが、オペラのように継承されていくのでしょうか。事実、すでにカバーブームです。

 世界中で歌や音楽は生活に根付いているのに、日本では、カラオケを除いては、心もとない現状です。歌手という職業も消えようとしているようです。半分は団塊の世代のノスタルジーによって支えられているのでしょう。

 アメリカのポップスの世界戦略にハリウッド映画と同じく巻き込まれてきた日本では、世界の大半の国と同じですが、グローバル化の問題に触れないわけにいきません。民族主義キャピタリズムの行く末は、ということです。

 政治的、社会的影響としては、マイケル・ジャクソンとマドンナをピークに過ぎたといえます。

 日本では、私は、その境界を紅白歌合戦の前の、レコード大賞が、ピンクレディ(「UFO」)光Genji(「パラダイス銀河」)だった年を中心に、1978~1988年の10年と思っています。しかし、本当のピークは世界も日本も1968年だったのではないでしょうか。日本では演歌から歌謡曲、そして欧米ポップスの全盛期ということです。そのようなことも、何十年か経てわかってくるわけです。テレビの時代―それも終わろうとしていますが、テレビというメディアのメイン番組でみると、その時代を支配していたものの移り変わりがわかります。スポーツも似ています。