個人がそれぞれに感じていることが、そのままで肯定できるとは言えません。芸は、車が運転できるとか自転車に乗れるという、歩くようなことの延長上で誰もが行えるようになることではないからです。
ヴォイトレをそこにおくというトレーナーのスタンスもあります。ヴォイトレは、誰でもできる簡単なものという考えです。これはできているというのを、どう区別するのかが曖昧になりやすいです。ヴォイトレでなくても何かを長くやっているとしぜんにできている、ということもあるからです。
場によって、当てはまることもあります。そのレベルでは、皆が参加しているので、公共のルール、暗黙に守らなくてはいけないことが出てきます。そうした方がいいということとは、マニュアルのことです。カルチャースクールの和気あいあいとしたクラスのカリキュラムのようなものです。
それなら、自由に息もできない子弟制の方が、長い眼でみると人は育つでしょう。なぜなら、自分の実力の否定から始まるからです。ゼロやマイナスからのスタートを切るために必要なのが、否定であり、大逆転です。