感じていることにもレベルがあります。このあたりは、好き嫌いでなく、すぐれているかどうかが問題です。
一般レベルでの個人の感じることの大半は、好き嫌いです。よくある感想です。それは消費者、受け手、聴衆のものです。
すぐれているものは、「正しい」でなく、「すごい」に、あるいは、「おもしろい」とか「格好いい」(ヤバい)に向かうものです。レベルとはいうより、本当は、何かで測れるようなスケールでないのが、本物、一流です。
そこはトレーニング、育てる対象にならないので、プロということで述べました。プロになるプロセスを経て一流、怪物のような人が出てくるとは限りません。この論にも、私の考えも超えたところに、息づくものを殺してはいけないというサンクチャリー(聖域)があります。殺されるくらいではヒーローになれないので、そんな心配は不要でしょう。
出てくる人はどこにいても出てくるのです。そこは考える必要がありません。
私の話が、その人の人生の1ページの1行にもなっていれば、ありがたいものです。要は、1パーセントもないかもしれない可能性を殺さないこと、トレーナーもですが、本人が自ら殺してしまわないことが第一です。